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2014年03月16日 | 読書
 「2014読了」29冊目 ★★

 『蜩ノ記』(葉室麟  祥伝社文庫)


 「初めて読む作家シリーズ」第2弾,しかも時代小説である。
 直木賞作品だったので,書名はなんとなく知っていた。

 それにしても,時代小説である。
 ほとんど読んだ記憶がない。藤沢周平を読んだことが一冊あったかなかったか,それもずっと昔のような気がする。
 まあ,熊谷達也作品にも江戸時代を扱ったものがあったとは思うが,範疇としては異なるのではなかろうか。

 人並みに時代劇などは見るのに,どうしてこの手の小説に手を出さなかったか,読んでみて改めて痛感したことがある。

 結局,ものぐさなんだ。
 言葉をとらえて情景を想像することに,時代小説は手間取る。
 想像力の貧困さというよりは教養不足なのかもしれないが,設定やら慣習やら,何より人物の心の深さが呑み込めるまでに時間がかかって進めないということだろう。


 この小説にあっても,例えば「武士として,生涯消せぬ恥辱」という一言をどれほどの重さで受け止められるか,となると結構難しい,これが。
 こうなると,テレビ時代劇などはあまりにステレオタイプに思えてくるから不思議だ。
 そこが文学の魅力とでも言うべきか。


 さて,もう一つ疑問に思ったのは主人公という位置づけである。

 解説のロバート・キャンベルという研究者は,期限付きで切腹を命じられている戸田秋谷という武士として,さらっと書いている。確かに蜩ノ記を坦々と書き記す,一番格好いい存在である。
 しかし,現代小説感覚でいくと,秋谷の監視役となり,その人生観を変えていく脇野庄三郎だと単純に思ってしまう。
 このあたりも,時代小説独特の読み方があるのかもしれない。

 さて,九州を舞台にしているとはいえ,なんとなく藤沢周平を彷彿させるこの話(読んでもいないのに,生意気な言い方だ)。妙に達観した百姓の子どもを登場させているところが面白い。

 同年代の,郁太郎という秋谷の息子に対して,こんなことを言ってのけるのである。

 「おれは世の中には覚えていなくちゃなんねえことは,そんなに多くはねえような気がするんよ」

 結局,クライマックスとなる場面は,その源吉の痛ましい死がきっかけとなり大きな展開を見せることになる。

 源吉の語る人生観?は,たとえば小説の読み方そのものにも通ずる気がして,かなり毒されている自分を感じたりする。