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家庭教育の極論を知れば

2014年06月03日 | 雑記帳
 『BRUTUS』(マガジンハウス)6月号が、こんな特集をしていた。


 親と子 
 こう育てられた。こう育てている。


 子育てと直接題づけしないところが、BRUTUSのセンスだと思う。
 内容はもちろんそれだが、結局、子育て=親育ちという姿勢がはっきりしている。

 「わたしの子育てルール」と題されたコーナーは、こんな前書きがある。

 子育ては親にとって修業の場です。ノウハウや子どもの接し方に、コレといった正解はなく自問自答の毎日。でも、我が子について誰よりも知っているのは親自身であることも真理。


 そのことを前提に、30人の親が「マイルール」について小文を寄せている。

 多種多様に見えるが、大きな特徴があることに気づく。

 強制的なものが少ない、あるいは見えない

 これは、この雑誌の執筆者や購読層と重なって見えてくる。
 執筆しているのは、官僚やバリバリのビジネスマンではなく、写真家、ミュージシャン、アーティスト、デザイナー・・・といったその筋の方が多くを占めている。

 当然と言えば、当然だろう。
 だから、学校は強制を背負わねばならない、なんてことも考える。

 もう一つの共通点としては、次のことが挙げられる。

 数少ない大事なことを徹底させている。

 徹底の仕方、させ方はまちまちだが、それは自分(親)の信念とリンクしている。
 それは、仕事として文化と向き合う人々には欠かせないことに違いない。

 当然と言えば、当然だろう。
 だから、学校はもろもろの広範囲を扱わなくてはいけない。


 ある意味では,家庭教育の独自性が最大限に発揮されていると言っていいかもしれない。

 家庭教育の極論を知れば、学校の役割が見えてくる。


 あ,伊坂幸太郎のあまりに平凡な子育ての現状も面白かった。