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また叱るかあと口にしつつ

2014年06月27日 | 雑記帳
 書店に立ち寄る機会もなかったので、少々遅れながら『総合教育技術』誌の7月号を昨日買った。特集は『「叱る」技術「叱らない」技術』。正直、またかと思った。「叱る」関連は毎年登場している。管理職等が対象の教育雑誌に、3年連続して取り上げられることは、現場の悩みが浮き出ているという証しなのか。


 確かに「叱り方」に気を配らなければならなくなった。また「叱る」ことの効力に疑問を持つことも多くなった。それゆえ、叱ることに腰が引けている、また無駄ではないかと考えている教師も皆無ではあるまい。つまりは「叱る教育」の後退が進んでいる。とすると、この特集名は微妙な立ち位置にあることがわかる。


「叱る技術」とは、「叱る」という言語行為の有効性を高めようとすることだ。つまり子どもたちの状況や場面、個性等にあった適用を図ることだ。一方「叱らない技術」とは、いわば「叱る」という言語行為の代替になること、または、その行為に及ばないための周辺を固めていくことを指しているようだ。興味深い。


 結局、「叱る」という直接行為は減っていかざるを得ない。そんな現状にあることをわかりつつ、この特集が組まれるのは、やはり「叱る教育」は捨てきれるわけがなく、捨てることがけしていいことではないという認識だ。安易に「叱る」ことを反省し、自分の働きかけをチェックしろという激励と取っておこう。


 古荘純一氏が書いていた次の文章を心に留めたい。

 心理学の分野では「ほめる」と「叱る」の割合が3対1ていどでないと、叱る効果が上がらないという研究報告もあります。


 有田和正先生を偲ぶ特集も組まれていたが、そのなかに先生の連載の再録があり、次のような文章も載っていた。

 私の体験では「8割ほめて2割叱る」くらいの割合がいいように感じている。感じであって、科学的な根拠はない。


 共通性を持つ量的な見解に、私たちは「叱る技術」の一つの結論をみる。

 つまり、むやみに叱らない。

 当たり前のことと笑うなかれ。

「感情労働者」としての教師は、そういうバランスを持っていることが大きな資質である。