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花子とアンと学習本位

2014年06月28日 | 雑記帳
 『花子とアン』も三か月見続けた。個人的には前年度の二つよりは面白みに欠けると思っている。視聴率はずいぶんいいようだが…。主演の吉高がはたして合っていたのか。製作の意図はなんとなく想像できるが,彼女は田舎出ヒロインに合わない印象がある。他の女優であれば,ずいぶん違ってきたのかもしれない。


 職業上の興味として,学校や教室場面を見ることは楽しい。今回も特にあれはどういうことだろうと思ったのは,花子が務める学校の職員室に掲示してあった,一つのポスター(というよりスローガンか)。こう書いてあった。「學習本位の教育」…学習者本位ではない。学習が本位である。では他の要素とは何か。



 明治・大正期と考えれば,「学習」と並ばせるのは例えば「指導」であったり「訓練」であったりするのだろうか。ネットで検索してみたら,さすがに「学習本位の教育」はずばりとヒットしなかった。関連で調べ続けていくと,「教育の三要素」というサイトがあり,こう記されていたが,今ひとつぴんとこない。



 自己は、外界への働きかけによって知恵を身につけることができる。
 その働きかけには、三つの要素がある。一つは、学習である。もう一つは、研究である。そして、最後に指導である。
 この三つの要素を、繰り返す事で、教育は、その効果を上げることができる。



 ページ全部読んでもストンとこなかった。検索を続けて「学習本位」を冠した昭和6年の「尋六の地理教育」という出版物を見つけた。なんと明治図書。そう考えると「学習本位」とは「新しい授業づくり」のようなスローガンなのか,と一応結論付ける。意味は確かにあるだろうが,言葉が一人歩きしそうなタイプだ。