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学級通信「つばき」は語る~②

2014年06月13日 | 雑記帳
 未熟だった私はずいぶんと支えていただいたが、面と向かって誉められた記憶はない。

 それだけに、この「つばき」にあった文章は、今私にとっては最上級の嬉しさを感じさせてくれる。

 地区の書写展示会へ向けての習字の取組みである。
 堪能なF先生の指導に太刀打ちできるわけもない私は、当時何かの実践に感化されたのか、課題の「全員百枚練習」を打ち出した。

 F先生は書写学習を振り返って、子供たちの作品写真を載せながら、次のように書き残してくれていた。

 となりの組は全員百枚挑戦をやりとげたようですが、それだけにみんながすばらしく向上していたと思います。
 一組は、となりより少しおとったようですが、それは担任が忍耐強く要求しなかったことにもよると思います。



 F先生の教室前面に掲示された目標は「聞き上手になろう」「働き上手になろう」だったと記憶している。
 最上級生に示す文言としてはどうか、と単純に考えるが、実は子供の実態によく照らし合わせられたものだった。

 秋以降の通信「つばき」は、かなり不定期になっているが、それらの目標に対して少しずつ手ごたえを感じずつある印象がする。
 子供たちのノートのコピーや、今学習していることについての紹介などにもスペースが割かれてあった。

 そして1984.3.17。
 卒業の日の53号には「夢中のうちに終わった」「まずまずというところでしょう」という、心の内の思いを吐露しながら、このような文章でまとめがされている。

 (つばきの鉢について・・・・)鉢そのものは何の手入れにもせず冬になったので、玄関わきに入れていたのですが、赤いつぼみがちらほらみえるのでびっくりしました。
 いつもより、数は少ないようですが、ともかく連続花が咲くことになりました。
 子どもたちの成長を喜んで咲くことになったのか、お前がかわいそうだからといって咲くことになったのか、つばきに口があったら答えてくれればと思いました。



 ああ、F先生らしい締めくくりだなと思う。

 人間の生きる芯がしっかりしていれば、それはどこかに響いて、何かを咲かせていくのだよ、とあの穏やかな顔でおっしゃっている気がする。

 合掌。