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「踊る教室」に踊らされるな

2014年06月11日 | 雑記帳
 NHK『学力日本一 踊る教室』…放送する側に立てば、なかなか練られたネーミングと思う。しかし、視聴した教員の一人として、しかも身近な地域のことが取り上げられた、という立場からは、あまり愉快な感じがしなかった。「学力日本一」が一人歩きしている状況は慣れているが、「踊る教室」の意図は何か。


 テレビとして「踊る」から連想できるのは、あれしかない。そう『踊る大捜査線』。従ってはじきだされるイメージは、勢いがあるというより騒然、ドタバタに近いのではないか。あのドラマ以降に「踊る」を使って形容されているものの多くはそうだ。視聴者が「踊る教室」に期待するのは、そんな様子ではないか。


 編集の意図は、番組紹介の詳細に書かれてあるとおりかもしれない。しかし、教員であれば、多くが経験するであろう事象(子どもたちがしゃべらなくなる、やる気のない態度を見せる)を、ああした場面だけを切り取って仕上げるのでは、教師の感情だけがクローズアップされるようで、誤解を招きかねないだろう。


 描かれた児童の変容をどうとらえるかは、様々であろう。一般視聴者と学校関係者とでは違いがあるかもしれない。またドキュメンタリーとしてどうか、という評価もあるはずだ。それらを重ね合わせ考えると、この番組設定には「事件」を期待していた向きがあり、それをことさらに脚色したという推測が成り立つ。


 特定教科の、ペーパーで計測する「学力」の平均値の高さを「学力日本一」とした大雑把な表現と、「踊る教室」と一学級を揶揄したような表現と対照させて、その落差をねらっていたのではないかと勘繰りたくなる。編集意図を考察せずに、場面的な批判をしている輩もいるが、そんな踊らされ方をしてはいけない。