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「述べ方」の混乱,いっそそれも

2014年06月08日 | 雑記帳
 先週、国語科物語教材の指導検討会をしていたら、提示された指導案の中に、このような文章があった。


 (前半 略)~ 教科書に示された三つの話型を参考にして、叙述から根拠を明確にして自分の考えを話すという「述べ方」を意識させる。


 「述べ方」が気になった。

 かぎかっこ付きということは、強調もしくは特別な場合を指していると解釈される。

 まず「述べ方」という言葉自体、あまり一般的ではない。
 そして、国語科で「述べ方」という語を用いたのは、私の記憶では説明文指導であり、筑波に勤めていらした藤井國彦先生が使い始め(ちょっと不確か)、著書にしたのではなかったか。

 そんなこともあり、授業者に訊ねてみると、教師用指導書に書かれた文章を参照したとのこと。

 見せてもらったら確かにあった。


 前後を詳しく読む余裕もなかったので判断できないが、その指導書に著した方はどの程度の意識を持ってこの語を遣ったのだろうか。

 おそらく今出回っているいろいろな指導資料の中で一般的にこの言い方が使われるのは「筆者の述べ方」であろう。
 これは大方「筆者の主張」と区分するための表現である。大事な学習内容である。

 ただ「述べ方」という本来の意味からすると、当然ながらその指導書の文言は間違いとはいえない。
 「話法」を意識させたいがために「述べ方」という語をつかい、カギかっこで強調したのかもしれない。

 そこで思うのは、やはり国語科の学習用語を扱う難しさである。
 「述べ方」が用語としては提示されないのかもしれないが、指導者の頭に残っていくとすれば、指導のための用語としては意味がかなり広がってしまった感がする。

 語の示す範囲が使い手によって差がある、幅が広すぎることが、一つの難関なのだと思う。

 「組み立て」「順序」という意味も包括してしまう「述べ方」は、どんな場面でも使えるし、その使いやすさに甘えてしまうと、混乱を招きはしないか。

 しかしいっそ、そうした「○○方」で統一するという逆転発想もあり得るか。