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学級通信「つばき」は語る~①

2014年06月12日 | 雑記帳
 若い頃に同学年を組んだF先生が亡くなられた。
 今思うと、生意気盛りの自分をよく見守っていただいたと思う。

 当時いただいた学級通信が綴ってある。
 変色し、読みとりにくい印字の部分もあるが、息づかいが伝わってくる文章だ。

 1983.4.5にその「つばき」の第1号が書かれている。

 「真の“出会い”を」と題された小文である。(すべて原文のまま)

 きのう子供たちと顔をあわせましたが、毎日が闘いだなと感じました。“子供は純真で、いつも教師の味方で、勉強づきで、などというとらえ方は、がんばってもできませんでした。指導を拒絶し、反逆し、いいかげんなことでは心を開いてくれない、近づいて来ないという印象が深められました。
 この出会いを、いかにしてきり開いていくかというのが担任の当面の課題であると感じました。



 学級を受け持って発行する通信第1号にこんな事をかける教師は、当時であっても少なかっただろう。
 いわば宣戦布告のようなものである。
 今思えば「学級崩壊」とまではいかなくとも、それに近い状態だったとも予想できる。

 他校に聞こえてくるほど、悪名高き子供たちが揃う学年であり、一年前に転任してきて隣の学級を受け持った私にしても、結構ぼろぼろになりながら、仕事を続けていた記憶がある。
 当時、40代だったF先生は上の学年を卒業させて、すぐまた6年生の片方の学級をもつことになったのだった。


 始業式から三日後の第3号に、F先生は通信名の「つばき」について、その思いを述べている。
 前任校在職時に、山道で見つけたその小さな木は1年おきにしか咲いてくれないのだった。5年生6年生と持ち上がるサイクルだったので、実はそれがよく合っていたのだという。今年は1年間しかないのだけれど…と続けてこう書いている。

 是非、来年の三月にも咲かせてみようと考えたのです。それは今の子供たちに、昨年から担任していたような気持ちで、その内容を充実させることだ。つばきの花が毎日見ているのだという、自分に対するいましめと、はげましのシンボルとしてつけたものです。


 教職にかける思いの深さを見るようである。

 当時はすぐには呑み込めなかったけれど、学級経営に関する指導の「強弱」調整や、研究授業に関する「教師用指導書」の生かし方(まあ、これは裏技のような、隠し技のような気もするが)など、その懐の深さは、私にとってずいぶんと刺激になった。


 それだけの力量をもったF先生にしても、かの学年、学級は一筋縄ではいかないツワモノ揃いであった。

 様々な手をうつが劇的な成長を感じさせるところまでは届かない。
 そのもどかしさやいら立ちも感じられる文章も少なくなかった。
 秋頃には「授業を受ける態度、すなわち心の成長がもっと早ければ…」や「腹の底からにえくりかえってくる」などという表現もみられる。

 しかしその半面で、学年で初めて取り組んだ2回の児童集会や、修学旅行の他に実施した二泊三日の宿泊学習など、今思ってもバイタリティに溢れたことを子供にぶつけていたことも確かだ。

 私たちは、そんなふうに残り半年に向かっていった。