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いつかの6月26日には

2014年06月26日 | 雑記帳
 先週、三年生の研究授業を見たとき、なぜか初めて三年生を担任した頃が懐かしくなった。実はその当時4月に指導した物語文が、題名は思い出せないが同じファンタジーだったことを覚えていて、その授業でとんでもない失敗をしたからだ。どうしても文章に根拠を見つけさせたくて、子どもを泣かせた記憶がある。


 想像力豊かなその女の子が語ることを遮って、「どこに書いてあるの?」と問いかけた気がする。分析批評に目覚めた?頃、その大人げなさを自覚できなかったのだろう。残念ながら手元の学級通信集にその記録は残っていなかったが、やはり少し肩に力の入った時期だったし、それは当時の原動力でもあったのだろう。


 懐かしの通信をめくっていたら、なんと「6.26研究会後記」などというタイトルがあるではないか。それ以前に研究会に関することなどあまり触れていないのに、よほどほっとしたのだろう。若干31歳、研究主任2年目で研究経過説明などを、200人ぐらいの教員の前でしたはずだ。いやあ、イケイケでした。


 発問研究真っ盛りであり、研究協議の目指したものは、当該授業の発問検討をすること、そしていくつかの代案を提示し、それに検討を加えることだった。ある面の厳しさはあったが、今になってみると、つくづく安定した基盤で授業が出来たものだ。発問という一つの言葉かけによくも悪くも染まっていた時期だ。


 受け持っていた学級は校内事情により結局4年間持ち上がり。その当時でもあまり聞いたことがない。自分もつらく感じた時はあったが、子どもたちはそれ以上ではなかったか。ただ出会いで私の問いに泣いた子は、一番の理解者になってくれたようで、授業の発言、自学等々、印象深い学びを私に見せつけてくれた。


 6月26日というのは何かの縁か。「授業を見合う週間」の今日、出張補充ではあるが「授業提案」という形で5年生の音読指導を行う。ビデオカメラあり参観者も数名おり、なんとなくプレッシャーがかかる。子どもはりっぱだったが、発問を全然練り込んでおらず、もっぱら指示と説明でしのぐ。時の流れは怖い。