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本質を見誤らず,潔く歩む

2014年09月21日 | 読書
 「2014読了」97冊目 ★★★
 
 『教育者・野口芳宏の歩み』(松澤正仁  授業道場・野口塾文庫)

 いつかこういう仕事をする方が出ていらっしゃるだろうと思っていた。
 (できれば関わりたい気持ちが自分にもあったのだが、そこは能力、意欲の差が見事に露呈したか)


 野口芳宏先生の薫陶をうけて三十年近い月日が経とうとしている。
 実際に講座を聴きに隣県へ行き、その帰りに呼び止められて言葉を交わさせていただいたのは「昭和」であった。
 その意味では、そこから以降の記録は、まさに自分もあの時はと振り返ることにも通ずる。

 ご誕生から幼年期、学生期…いくつか知っているエピソードもあるが、ミニ伝記を読むようでもあり、楽しい。
 出合ったヒト、コトを見事に「価値」にしてしまう、先生の見事なまでの才能は、きっとご両親をはじめご家族の方々によって培われたものと想像できる。

 先生がよく使われるキーワード、たとえば「意図的計画的」「向上的変容」「他律による自立」「結果幸福論」など、こうした一見ばらばらに見えることも、先生の中では常に反芻されているし、きちんと位置づけられ整理されている。

 読んでいて思いついた語はこれ。

 潔さ

 これほど、先生に似つかわしい語があるだろうか。
 目の前の事物に正対していく秘訣とは、まさにその精神の具現化である。


 さて、今まで目にしたことのなかった先生の言葉で、深く得心したものがある。
 教育委員会の会議録であり、記名されていないのだが、先生以外にあり得ないと紹介したのは松澤氏の慧眼であり、その内容にも深く共感できる。
 少し長いが一部を引用する。

 県教委が主になって行う研修にはどんな意味があるのか考える。県教委の体制が充実すればするほど、先生方は、そこに参加すればよいのだと錯覚してしまう。本当の研修は、勤務時間外に自らの意志で身銭を切って学ぶ、学ぶ意欲をもつことが本当の研修の成果だと強く考える。県教委が音頭を取るのは、あくまでも動機付け研修であり、そのことによってどのくらい教師自らが学ぶようになったのかが成果だと思う。日数、時間を掛けてやったという事実が問題ではなく、そのことが教員をどう変えたかが問題である。


 学校における研修もまた、その視点を抜きには語れない。
 本質を見誤ってはならないと、また教えられた。