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豊かになれない者の戯言

2014年09月14日 | 雑記帳
 5年生のM社国語教科書に「豊かな言葉の使い手になるためには」という単元がある。
 この学習のなかで、インタビュー活動があるので子どもたちが来たら受けてくれと担任に頼まれた。
 もちろんOKなのだが、質問項目があるらしいので事前に見せてもらった。
 えっと思う項目があった。

 言葉についてどんな考えをもっていますか?


 いやいやこれは、どんな答えを想定しているのだろう。

 ぱっと思い浮かばないので、担任とやりとりしながら、それはパスさせてもらうことにした。

 しかしその後、再びその質問が気になり、5年生相手にどんなことを話せばいいか、改めて考えてみた。


 言葉は、とても大事だと考えています。
 なぜ、大事か。

 まず、人は言葉によって他の人に自分の気持ちや考えを伝えることができるでしょ。
 言葉以外でも伝えることはできますが、言葉は使いやすく、一度に多くのことを伝えたり、文字や声という方法を使い分けたりすることもできるよね。
 しかし、だからこそ、気をつけなければいけないことがあるんだよね。
 自分のつかっている言葉は正確なのか、相手にしっかりと意味が伝わっているのか、そういうことだ。

 でも、話すたび、書くたびに、いちいちじっくりと考えている時間はないよね。
 ただ、時々はそうして自分の話した言葉、書いた言葉を見つめ直してみることも必要だろうね。

 もう一つ、人は言葉があるからこそ、心のなかでふりかえったり、考えたり、決めたりできるよね。
 自分にしか聞こえない心の声で、ほら,今もあなたは・・・・・・・



 とまあ、平凡だけれどこんな具合か。
 それにしても教科書を覗いてみたら、こんなことも書いている。

 調べたことをもとに、「豊かさ」を生み出すものは何か考えましょう。


 これは難問だ。

 「豊かさ」を量ではなく、質に求めようとする意図はわからぬではないが、「豊かさ」は漠然とした括りの中で生きるものであり、教科書的に限定されては、豊かさから遠くなってしまうのではないか。
 そんな矛盾を抱えた単元のように見えてくる。

 念のため、新教科書にあたったら、その内容は変わっていた。

 「明日をつくるわたしたち」と題して、生活等に対する提案書を書かせようという趣向だ。
 こちらが扱いやすいことは確かだ。

 実は、豊かになれない者の戯言なんだろうけど。