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行き当たりばったりの思想に気づく

2014年09月04日 | 読書
 「2014読了」92冊目 ★★★
 
 『反省しない。』(桶渡啓祐  中経出版)


 ネットでも評判になっていたし、先日読んだ雑誌記事に触発されたので、取り寄せて即購読した。合わせて付録のDVD(講演)も視聴した。

 さすがに今、スパークしている人物だなと感じる。
 共感できる、というより学びとりたい多くの提言があった。

 逆風なら向きを変えて追い風にする

 スピードは最大の付加価値

 完成力より修正力



 しかし、著者の一番根底にあるのは、この書名「反省しない。」とつながる次のことではないか。

 行き当たりばったり

 仮に「行き当たりばったりの思想」と名づけ、その精神の在り様を探ってみたい。
 なぜなら、自分にとってまったく縁遠いと感じているからである。

 「行き当たりばったりでいい」という考えは、おそらく自分自身への揺るぎない肯定感に支えられる。
 しかももちろんそれは過去の自分ではなく、現在の自分に対する強い感覚だ。
 課題をクリアできる自信というような方向性ではなく、対象を面白い、惹きつけられていくという意欲や関心の高さと関わりをもつ。

 だから、失敗は当然予想されることであり、そこでの消耗は少ない。

 また、対象へ向かう力の凝集度が高いと言えるだろう。
 「やる気スイッチを無理に押さない」と言っているのは、自分のなかで意図的に展開させるなという意であり、流れの中で見せる動きの力強さは、文章や講演から十二分に伝わってきた。

 「行き当たりばったり」を、どのレベルに落とし込んで信条とするかは、よくよく考えねばならない。

 市図書館を今のようにすることに「大義」はないと書いているが、確かにそうかもしれない。様々な政策も同様だろう。
 著者にあるのは、言ってみれば「自分への大義」である。

 引きこもりだった高校生の頃、聴いた隣町の町長の話に将来を見出し、東大に入り国家公務員になり、生まれ故郷の市長になった。
 紆余屈折を乗り越えるなかで、いわば「行き当たりばったり」によって、人物が大きくなっていく典型のようなものである。

 そういう物語は、変革期にあるのだろうなあ、よくドラマ化される戦国時代や幕末、維新などは最たるものだ。
 講演に見る手練手管の語り口などは、かの歴史上の人物もそうだったのではないか、と思わせられる。イメージできるのは…。

 変革期のリーダー像は「行き当たりばったりの思想」の持ち主だということに、今頃になって気づかされた。
 いろいろな提言は、全てそこに収斂されている。