すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「花子とアン」いくつかの発見

2014年09月28日 | 雑記帳
 『花子とアン』が終わった。今クールも週末のまとめ視聴ではあったが,全編を観た。前半から中盤はストーリーに変化があり面白かった。震災や戦争という歴史的な出来事が関わる後半は,少しあっさりした印象をうけた。正直いつも思っていたのは「アンはいつ出てくるの」という文学音痴丸出しのことだった。


 その点を棚上げしても『花子とアン』という題名はいかがなものか。人名を使い「〇〇と□□」という物語だったら,通常は二人を主人公とする話である。「安寿と厨子王」(古い!)「トミーとマツ」(何のことだ)など典型的である。それなのに「アン」が実際に登場しないとはいかなることか…と思うのは私だけ。


 もちろん『赤毛のアン』という本の存在をきちんと知らないから,こんな勝手なことを言っているわけだが…。となると,この「アン」とは人名でありながら,一つの象徴として使われているという結論に達する。主人公の花子の持つ精神の間近な存在として,また一つの到達点としてのイメージ作りと言えるだろう。


 それはよく出てくる「想像の翼を広げて」というセリフ,そして最終週の題ともなった「曲がり角の先に」(希望を信じる心)といったことと言い換えられるかもしれない。ある日,周囲の女性教員の方々の多くが『赤毛のアン』を夢中になって読んだという体験があることを聞き驚いた。遅ればせながらの発見だった。


 個人的に,主役の吉高由里子は少し合わない気がした。脚本家が当て書きをしたのだと聞いたことがあるから相当イメージに近い?のだろうが,自分の引っ掛かりは何なのか,今もわからない。さて,今回のキャストの中で妹役の土屋太鳳は,目力を感じた女優だ。『マッサン』を通り越して,来年の春が楽しみだ。