すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

石で遊んでいた頃

2014年12月08日 | 雑記帳
 ある朝,いつものように校門付近に向かうと,野球場入口に,バレーボール大の大きな石がある。そこらには転がっていないので,誰かがここまで運んだのか。子どもだろう。いい石見つけたと思ったのだろうか。そういえば昔は,少し変わった石があれば意味もなく,動かしたり,持ったり,投げたりしたものだ。


 石が一つの遊び道具だった幼い頃があった。自宅裏は川だったので,よけいに懐かしいのか。形状や堅さ,柔らかさなど,日常的に触れているからたくさん情報をもっていた。学生になった頃,つげ義春の漫画「無能の人」で,「石を売る」場面が出てきて衝撃を受けたことがあった。映画は竹中直人主演,監督だったな。


 献本された同人誌に,昔の「石遊び」のことに触れた部分があり,そうそうと頷く文章があった。「石選びは勝敗に左右することだったので家の周りや川辺に行って真剣に探していた」そうだ,いい石を見つけた時は嬉しかったものだ。大事な「武器」になる。そして大切な「宝物」になっていく。そんな時代があった。


 たぶん中学校で講師をした時だ。詩作の授業で比喩の例として思いつきで「石の心」という言葉を出した。たぶん「堅い」「閉ざす」「無反応」のようなイメージで出したのだろうが,今考えると単純すぎる。出来れば各個人の持つ石との接点,出会いといった形で創作できないだろうか。妄想のようなことを考える。