すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

あまりに象徴的な題名の悲しさ

2014年12月29日 | 読書
 「2014読了」138冊目 ★★

 『散るぞ悲しき』(梯久美子 新潮文庫)

 11月末の野口塾のときに,先生より紹介があった本である。副題が「硫黄島総指揮官・栗林忠道」。戦争に関わる島の名は記憶にあったが,やはりあの映画によって強く印象づけられたのが正直なところであり,それまで栗林の名前は知らなかった。日米合作(双方の視点で描かれた)という事実の持つ重みは,やはりこの著を通読するとひしひしと伝わってくる。


 題名は,栗林が電文に残した辞世の歌の末尾である。しかしその箇所が大本営によって「散るぞ口惜し」に改ざんされたという事実が,全てを物語っている。あまりに象徴的な題名である。「散る」ことは何のために,「散る」ことによって何を生かすか,「悲しき」という素直な感情の発露が,「口惜し」と捻じ曲げられて新聞発表されなければいけない悲しさ。


 現実社会で私たちが想像できる不条理と,あまりにも違いすぎる。そして違いすぎるがゆえに,本質では通底する何かを見つけられるような気もした。『リーダーという生き方』(佐々木常夫)にも書かれてあった,栗林が持つ「極限のリーダーシップ」は,一個人が抱えている多くの些細な日常と隔絶していない。逆に細かい点が見えなければ実現できない。


 「予は常に諸子の先頭に在り」…いよいよ最後の出陣にあたって将兵たちに呼びかけた,最後の電文である。この気高さは,この著に認められた事実を知ることによって読む者の心を打つ。戦争という極限状況であっても,いやそれだからこそと言うべきか,栗林のような存在の間近にあった多くの将兵たちは,まさしく生を燃焼したと言えるのかもしれない。


 しかし,それゆえに軍中枢部,大本営の下した多くの司令の責任に目がいく。購入したがまだ少ししか読んでいない『失敗の本質』(中公文庫)は,これらのことを書いているのだろうと頭に浮かんだ。そしたら解説(柳田邦男)にその本のことが触れられていた。「タテ割り行政と権益争い」がその本質だとすれば,この国では,まだ教訓は生きていない気がする。