アフガニスタンで長い間医療活動や人道支援を続けている中村哲氏のインタビュー記事を読んだ。
昆虫への個人的な興味からパキスタンへ赴任、そして隣国のアフガニスタンへ…一括りに30年というけれど、私たちには想像もできない出来事の連続だったに違いない。
そこから何を学ぶか、なんて簡単に文に起こせない気もする。
しかし、こうしたいわば人生の達人とも言うべき方々の言葉は、私たちの些細な日常の暮らし方にも、大きなヒントを与えてくれる。
本当に大きな視野で物事を対している人間だけが持つ、独特のエネルギーというか、パッションというか、そうした強靭さを感じるからだろうか。
今回、目にとまった言葉はこれだ。
文化や宗教の違いをうんぬんするより、相手に合わせて「何か」を実現する。そのほうがずっと価値が高いと思います
生命に携わる職業ゆえに、その優先順位ははっきりしているはずだが、その前に「人」ありき、ということが伝わってくる。
医療の妨げになる習慣や風習があって、それを自分たちの価値観で退けることの独善性をしっかり見つめている。
もしかすれば、患者にとっては「命」を超える問題であり、それをまず理解する心がないと踏み込めない現実があるのだ。
そういう場面をいくつもいくつも経験したことだろう。
瑣末な自分の現実に照らし合わせたとき、「違い」を理解する心、そしてすり合わせられる範囲で実現できることを増やす努力、それらの積み重ねで、いくばくかのつながりが出来ていく…ということを教えられる。
さらに言えば、自分の理性や感情ではなく、肝心なのは「何かを実現する」ことだ、という明確な目的論であることがわかる。
次の言葉も噛みしめたい。
見慣れないものがすべて劣であり、嫌いなものだとは限りません。そこにあるのは見慣れたものとの「違い」だけ。コミュニケーションは、その「違い」をありのままに受け止めることから始まるのだと思います。
30年の重みが載っている言葉である。
受信から始まるコミュニケーションという意味を、私たちはもっと真剣に考えるべきだろう。
昆虫への個人的な興味からパキスタンへ赴任、そして隣国のアフガニスタンへ…一括りに30年というけれど、私たちには想像もできない出来事の連続だったに違いない。
そこから何を学ぶか、なんて簡単に文に起こせない気もする。
しかし、こうしたいわば人生の達人とも言うべき方々の言葉は、私たちの些細な日常の暮らし方にも、大きなヒントを与えてくれる。
本当に大きな視野で物事を対している人間だけが持つ、独特のエネルギーというか、パッションというか、そうした強靭さを感じるからだろうか。
今回、目にとまった言葉はこれだ。
文化や宗教の違いをうんぬんするより、相手に合わせて「何か」を実現する。そのほうがずっと価値が高いと思います
生命に携わる職業ゆえに、その優先順位ははっきりしているはずだが、その前に「人」ありき、ということが伝わってくる。
医療の妨げになる習慣や風習があって、それを自分たちの価値観で退けることの独善性をしっかり見つめている。
もしかすれば、患者にとっては「命」を超える問題であり、それをまず理解する心がないと踏み込めない現実があるのだ。
そういう場面をいくつもいくつも経験したことだろう。
瑣末な自分の現実に照らし合わせたとき、「違い」を理解する心、そしてすり合わせられる範囲で実現できることを増やす努力、それらの積み重ねで、いくばくかのつながりが出来ていく…ということを教えられる。
さらに言えば、自分の理性や感情ではなく、肝心なのは「何かを実現する」ことだ、という明確な目的論であることがわかる。
次の言葉も噛みしめたい。
見慣れないものがすべて劣であり、嫌いなものだとは限りません。そこにあるのは見慣れたものとの「違い」だけ。コミュニケーションは、その「違い」をありのままに受け止めることから始まるのだと思います。
30年の重みが載っている言葉である。
受信から始まるコミュニケーションという意味を、私たちはもっと真剣に考えるべきだろう。