すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

奢りや高ぶりを冷ました方がいい

2014年12月17日 | 雑記帳
 暴風雪といえば、いくつか思い出すことがある。もう三十数年前の初任の学校で、1月末に厳しい日があった。私は当時、冬季だけ校舎に隣接して建てられた教員住宅に泊っていたのだが、わずか百メートル足らずの距離を15分もかけて住宅にたどり着いたのだった。車通勤の職員の多くは学校を出られなかった。


 その日のことを作文に書いた子がいた。私が夕食をお世話になっている家の息子であった。雪深い山間部に暮らしていても初めての体験だったようで、吹雪で息の出来ないつらさ、家へ着いたときの安堵感がよく書き込まれていた。「自然の厳しさに対峙するとき、人は心を動かす」という当たり前のことが心に響いた。


 それから約20年、再びその小規模校へ勤めた。ある年の二月初旬、6年生5名を車に乗せて、隣市の大規模校へ交流しようと出かけた。その時も酷かった。ようやく到着して三十数名の学級に加えてもらい合同授業をした。私も国語の一コマを持ち、楽しかった。朝はあんなに激しかった風雪が、帰りは穏やかだった。


 山間部の学校勤務が多く、当時はスキー全盛期だった。スキー授業のときも何度か猛吹雪にあった。今だと止めるのかもしれないが、昔は大変と思いつつ、なんとかやり抜いたものだ。栗駒で滑ったとき、子どもたちと共にコースを見失い、どんどん深くなる雪に心細くなったことがある。視界何メートルだったのか。


 結局、事故にならなかったので、こんなふうに述懐できる。今回の暴風雪も大きな被害がないことを祈りたい。雪であれ噴火であれ地震であれ、私たち人間は、結局のところ自然に支配される存在であることを時々思い知った方がいい。身を守りつつ、窓の外を見つめて、日頃のおごりや高ぶりを少し冷ました方がいい。