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桜と絵本と豆乳と

自分に引きつける居住空間学

2014年12月28日 | 雑記帳
 住宅や建築に興味を持ったのは、今の家を建てる1年前ぐらいだったから、12年ほど前となろうか。雑誌好き、活字好きを自称しているから、かなりの量の書籍を揃えたと思う。実際に依頼した設計士へ、こんな感じというイメージを伝えるためにも使った。だいぶ処分したつもりだが、その時の数冊が書棚にある。


 その後も例えば「木の家」などという特集が組まれた本など見かけると、つい手に取るし、何冊か購入したものもある。先々週、行きつけの書店の雑誌コーナーに『BRUTUS』の合本「居住空間学」があり、目を惹かれた。買うほどではないなと思いつつ、ぺらぺらめくってある箇所を見て「やっぱり買う」となった。


 その箇所は、私淑する内田樹氏の道場兼自宅の写真である。その新築に関しては何度となくブログ等で読んでいたが、実際の様子がわかるのは初めてだったので、じっくり拝見したいと買った。氏曰く「不快な刺激のない、感覚を全開にできる場所」という木造建築物。「宴会のできる武家屋敷」という比喩が痛快だ。


 その凱風館という場は確かにため息の出るものだった。何度か目にしている「木の家」の中村好文氏のページにも惹きつけられた。しかし、他はかなり意外な「空間学」であり、驚かされた。整理されている、ゆとりがある、清潔である等々、快適な居住空間の条件を満たすのはその辺りだと思ったが、見事に崩された。


 「揃えたり、きれいに仕上げたりしないラフな家」「古くなるほど心地よさがます家」という主張も刺激的である。共通点は、どこまでも自分に引きつけて視覚、聴覚、触覚などを取り込もうとする姿勢。典型的な一言「家は人生の心地よい流れの、一番大きな部分」。何を身体に馴染ませるか、という点に尽きる。深い。


 こんなことをだらだら書いたあと、書店にいったら文庫コーナーで内田教授の新刊を見つけた。なんと『ぼくの住まい論』(新潮文庫)。単行本としては一昨年に発刊されていた。知らなかった。読むのが楽しみである。住まいの維持のために、雪下ろしを年中行事とする地方とは違うだろうなとちょっぴり妬みながら。