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「齋藤孝力」再読再考

2015年01月24日 | 読書
 【2015読了】12冊目 ★★★
 『相手を伸ばす教え力』(齋藤 孝  宝島社)

 再読である。2004年の新刊当時に読んでいる。人気絶頂の頃かもしれない。ちょうどその当時に近隣で行われた講演会にも行き,本にサインをしてもらいながら話しかけたら,非常にフレンドリーに応えてくれたことを覚えている。テレビに出るあのままだなと印象づけられた。単著として持っている冊数は,師野口芳宏先生に次いで多いのは,著者の本だろう。


 今改めてこの本を手にして,著者の専門が日本語ではなく「教育者教育」であることを思い出した。最近,私が注目している実践家の多くが「教師力」「教師教育」といったことを頻繁に語り始めている。それらをじっくり目にしてはないが,私自身が意識してきたことを振り返ると,齋藤孝が唱えてきた考え方はかなり大きな部分を占めているような気がする。


 この著には本文の他に,Q&AのコーナーがCASEとして設けられている。その最後の質問はこうである。「『俺の背中を見て育て!』というのは,いまは通用しないのでしょうか?」。これに対する齋藤の答えは「通用しません」という一言から始まる。では,どうしたらいいか,という具体がこの本の内容といっていい。それはつまり「教え力」の筋道といってよい。


 多くの著書の中で語られてはいるが,「憧れに憧れる力」「評価力」「テキスト素材力」「ライブ能力」「自立を促すコメント力」…これらの総体を「教え力」と称している。「教えることに臆病になってはいけない」とよくわが師は仰るが,学ぶ姿勢が弱くなっている子どもを前にして,うまく教えられないことを自己責任としてみれば,ポイントはきっと見つかる。


 再読して私なりに「斎藤孝力」を定義するならば,一つは「実感重視」ということである。この本でいうと,テクストの選択とライブ感のところに表れている。次に「繰り返し重視」である。これは音読関係の著書によっても明らかだろう。そして何より「基本重視」。目的,根幹は何か,を常に意識している。だからこの本の最後は「自分で自分を伸ばす力」なのだ。