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強くなれない力士たちの国

2015年01月27日 | 雑記帳
 齢のせいなのか、以前より相撲を観るようになった。今場所も最後に近い取組はテレビ観戦できた日が多い。今の相撲の状況は「1強多弱」。どこかの国の政治のようだが、相撲の「強」は他国の横綱が群を抜いているのだ。「巨人・大鵬・卵焼き」で育った世代は、三つのどれもが主役を退いたようであり、少し寂しい。


 白鵬があの大鵬の優勝記録を破った。この偉業は誰しもが認めなければならない。文句のつけようがない大記録だ。しかしそれ以上に私も含めて数多くの「日本人力士よ、奮起せよ」という心がさらに湧きたち、頼りないとわかっていても大関陣等に期待したいことは否めない。白鵬戦に時折起こる逆声援の心がわかる。


 けれど、そういう声援の意義を複眼的に考えることも必要だ。かの内館牧子女史が、日曜日の朝刊に寄せた文章が的を射ていた。「自分がどんなに努力しようと、どんなに新記録を打ち立てようと、どんなに身を粉にしようと乗り越え難い壁への抵抗表現」。この「レジスタンス」が白鵬を強くしているとは言えまいか。


 今場所は再び物議を醸している13日の取組だけでなく、土俵際における物言い寸前の勝負が他にも2つあった。白鵬が残ったのは、むろん足腰の鍛錬によるものには違いないが、それ以上に気力だと言っても多くの人は否定しないだろう。闘争心が手足に宿って漲っていた。場所が終わって口にも移ってしまったか。


 それはさておき、日本人力士へ横綱を上回る何かを期待するのは無理だろうか。正月にジャパンナントカというバラエティで、小学生力士がモンゴル相撲の強い子たちと現地で戦う番組があった。結果は日本の3戦全勝。単純に判断できないが、素質や練習量の問題でないことは確かだ。誰しも指摘できるアレだろう。