すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

普通と中道と旅情と

2015年01月18日 | 読書
 【2015読了】9冊目 ★★
 『なっちゃんの家』(あんばいこう  女子パウロ会)

 交通事故によって重い障害をもった子を「語り部」に仕立てた形で書かれている。その子と母親,そして家族の歩んだ道,それは特殊であるようで特殊ではない。各地に似たような境遇の人もいるだろう。それゆえ,ほんの少しではあるが登場してきたA子さんの例は実に哀れだ。周囲の無理解が不幸を膨らませた例だ。主人公が背負ったものとの違いは何か。

 母親の言葉として最後に語られたことは深いなあ。障害を持った人たちと長く深く接した者でなければ感じ得ない感覚か。相手のわずかな表情の動きも自分の心に取り込めるということ,つまり「幸せって,見つけようとしなければ見えないものなのよ。そこらに転がってるもんじゃない」…普通と思われている暮らしを,普通に過ごしたところで見えてこない。


 【2015読了】10冊目 ★★
 『健康問答』(五木寛之・帯津良一  平凡社)

 五木寛之という大作家に対して「健康オタク」という形容は失礼なのだろうが,結構関連した本を出しているはずだ。「はじめに」で健康法は「これ一つ」ではいけないとする中で,「中道」について書いている文章がとても素敵だ。長いが引用する。

 ◇中道とは,右と左のちょうど中間ということではない。(略)どちらの要素も少しずつとり入れる,という折衷主義でもない。右へぶれ,左へぶれしながらも,最終の針路は一定である,といった進み方が中道だ。いうなればスイングする生き方,とでもいおうか。

 まさに我が人生などと言いたい気もするが,それではあまりに格好つけすぎている(問題は針路なのだ)。
 
 さて,この本は,健康に関する中道主義の本といっていいだろう。様々な治療法,健康法,民間療法に関して語らいながら,妄信的にならないように警告している。下に引用する「医者の結論」だけを読むと,ある面でどうにもいい加減な印象のように感じるかもしれない。しかし,いわゆる「養生」とは何かを突き詰めていくと,結果的にそうしかならないのである。

 ◇最終的に信頼できるのは,自分の直感(観)である。それを磨くのが大事である。

 帯津医師が,あとがきに書かれているなかに,その具体的な心がけがあると思った。「養生」といえば,やや安静的なイメージがつきまとうが,氏が提唱するのは「積極的で攻めの養生」なのだ。そしてこの一句にも惹かれる。「旅情こそ養生の核心」。ここではやや哲学的に広く解釈されているが,具体的な「旅」ということは大いなるヒントかもしれないと感じた。