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「あすなろ」の時代の教育

2015年01月17日 | 雑記帳
 学校文集の巻頭言を書くための材料にしようと,自分が小学生の頃の文集を書棚の奥から引っ張り出してみた。「卒業記念文集 あすなろ」と題された古く粗末な冊子しか残っていない。それより下の学年で作った記憶もないし,まして全校文集など作る時代や環境ではなかったと思うので,これが唯一のものである。


 学年4学級だったが,学級単独で作られた。人数は35名。わずか50ページの中に,「思い出の記」「修学旅行」「将来の希望」「詩」「寄せ書き」と多い子は5編も載っている。その質は思わず赤面するほどだし,編集委員(自分もそうだった)によるガリ版製作であり,ちょっと無残な感じもするが,同時に愛着もわく。


 実は文集の題名を決めるときのことを今でも覚えている。学級会で話し合って決めるということで,いくつかの意見が出て候補が絞られた。自分の出した「雑草」というタイトルが,一番たくさんの支持を得たのだった。添えた絵の図柄も思い出せる。ところがそこに教師の強烈な一言が…「雑草なんて,貧乏くさい」


 いわば教師主導で「あすなろ」に決まったわけだが,生意気盛りを迎えていた自分は,その決め方にはずいぶんと腹を立てた。今でも心に残っていることがその証拠であろう。今改めて考えてみると,当時(昭43)で「雑草」のイメージは古臭くなりつつあり,やはり「あすなろ」の時代に入っていたのかもしれない。


 「思い出の記」は実に正直に当時の状況が書かれている。自分は,教師の勘違いによって廊下に立たされたことの腹立たしさを綴っている(同じことを書いた者数名)。ある女の子は2年生の時,授業中にトイレに行かせてくれと教師に頼んだら、おでこにマジックで×印をつけられたと書いている。もはや驚きである。


 私もその一員だったが,教科書をうまく読めずに屋外に出された数人の男子が,傘で遊んで壊してしまい,教師に怒られ数時間町を放浪?する話は,まるで小説のようだ。11月の雪が降る日だったと書いている。こわれた傘を直すために小学生が日中に校外をぶらぶら歩いているなんて,昭和の教育はなんて素敵なんだ。