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それを「文化」と呼ぶ姿勢

2015年01月05日 | 雑記帳
 仕事始め。出勤して書類整理などした後に、隣市で行われる研修会へ参加するために出かけた。特別支援教育部会主催による教育講演会、講師は曽山和彦先生(名城大学准教授)である。曽山先生が秋田在住時に多少の関わりがあり、その後も何度かお話を聴いたことがあった。久しぶりの拝聴はとても楽しみだった。


 演題は「通常学級に在籍する気になる子への支援の在り方について」。おそらく多くの学校でニーズが高い部分だろう。年始休み明けにもかかわらず、百人を越える参加者があった。テーマに関わる著書も出版され、多くの発信をされている先生らしく、実に内容の濃い、また理論から実践まで幅広く包括した講演だった。


 数年ぶりだったので、失礼ながら「売れっ子」となった先生が多くの場を踏みどのように変容したのか、という個人的興味もあった。遊学館での講演を聴いてから5年以上は経っているだろう。その時と比較すると、圧倒的にスピードアップしている気がした。感覚的に早回し1.3倍ほどか(笑)情報量が増えている。


 エピソードや例示が豊富になり、聴かせどころもかなり意識されているなあと感じた。まさしく研究者、実践教育者としての研鑚の賜物だろう。もちろん、重要なメッセージもきちんと伝わってきた。曰く「言葉はスリムなほど伝わる」「関係づくりの第一歩は相手への関心」「ユーメッセージだけでは子どもは育たない」


 今回の資料の中に、深く考えさせられた言葉が一つある。それは「ASD(自閉症スペクトラム障害)への支援のワザ」という8番目のシートの中に書かれた次の言葉である。

 ◇文化に寄り添う

 「文化」に下線が引かれ、説明として「感覚の過敏性」「字義性」と例示されていた。そうした障害を持つ子は大きな音に対して耳を塞いだり、何かを極端に怖がったりすることがよくあるものである。また、いわゆる「察し」が困難なため、言葉をその通りに受け取ってしまうことも頻繁である。

 そうしたいわば実態を、「文化」と括っているのである。

 ここで「文化」とは何ぞやという疑問を持ってしまう。

 広辞苑によると「③(culture)人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活の様式と内容とを含む~以下略~」の部分が、該当するのかと思う。
 意訳すれば「固有の行動様式・生活様式」としてもよいだろうが、通常ではしっくりこない用法だ。

 結局,この名づけは、一つの思想なのだと思う。

 つまり、感覚が過敏なことや言葉の複層的な意味理解が困難なことを、抑圧したり矯正したりするものととらえず、固有の文化ととらえ、折り合いや擦り合わせを考えていくという姿勢を表しているのではないだろうか。

 文化と意識することによって、その子に対する向き合い方も変わってくる。
 簡単に読み流してはいけない言葉だ。