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Re-bornの条件を読む

2015年01月28日 | 読書
 【2015読了】14冊目 ★★
 『Re-born はじまりの一歩』(伊坂幸太郎・中島京子、他  実業之日本社文庫)

 7人の作家による競作アンソロジーである。でも読んだことがあるのは伊坂幸太郎と豊島ミホのみ。他の作家は名前も知らなかった人の方が多い。日本にはいったい小説家ってどれくらいいるのだろう、と今まで考えてみなかったことが浮かんだ。当然ながら、ここに書くというのは一流?人気?作家ということ。やはりそれなりに面白かったし、筋も明快だ。


 個人的に好きな作品を挙げれば、「ゴーストライター」(瀬尾まいこ)と「残り全部バケーション」(伊坂幸太郎)となる。伊坂作品は短編ながら伊坂らしい独特の設定にすっと惹きこまれた。瀬尾作品は、読みながら予想した結末とかなり違い、結構しみじみとさせられたので印象に残った。小説読みではないが、話に近づくには「知識」って大事だと改めて思う。


 中島京子の書く「コワリョ―フの鼻」はロシア文学の素養があったらずいぶんと楽しく読めたのではないか。冒頭の宮下奈都「よろこびの歌」も音楽的経験があると違った印象になるだろう。まあ、そうしたいろいろな環境にある民の大多数に読ませるのが、うまい小説家。そう考えると,短編というのは苦労が多いはずだし、名手の引き込み方の工夫を想う。


 さて、このアンソロジーのタイトル「Re-born」。日本が誇る大企業のCMを思い出させるが、あれは劇画チック。こちらは自己の再生である。小説の代表的なテーマか。再生の条件をこれらの話の共通点から導き出してみたい。まず「再生の芽」が生き残っていること。たいてい、そのことを信じていなかったり気づいていなかったりする地点から物語は始まる。


 次に、そのきっかけを与えてくれる人物との出会いがある。突然パターンが多いが、日常からの見直しパターンもある。このあたりの「気づき」をえぐるのが書き手の醍醐味か。そして多くの場合、再生を後押し、印象づける言葉がある。それはごく平凡さを持つ一言だ。それらがぴったりくる状況を想像すれば、残り1片のピースか、乾いた土への一滴の水か。