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スキルを教わらない世代の悩み

2015年01月29日 | 雑記帳
 M社の4年国語教科書を開いた。今まで目に留めなかったのだが「話す言葉は同じでも」というコラム(囲み記事風なのでこう名づけたのだろう)があり、二人の子の会話を通して「話し方のちがいで、相手の受け止め方はどうかわるか」について、取り上げている。これはまさしくソーシャルスキルだなと思った。


 三例あり、①は相手に対する顔の向き、②は応答の言葉(礼か謝罪か)、③は間の取り方を問題にしている。こういう教材が入ってくるとは、直接授業をしていた頃とは隔世の感がした。当然ながら、自分たちが義務教育の中でこうした内容を直接的に教わったような記憶はない。知らず知らずに身につけた?はずだ。


 なぜこうしたスキルが必要か、今さら考えるまでもないことだろう。ただ、昔の人たち(大人も子どもも)がこうしたスキルを、今の子たち以上に持ちあわせていたかどうかはあやしいわけだし、その点は明確にしなければならない。つまりは自分はあまり出来なかったことを教えているのだ、という自覚を持つこと。


 その自覚は、居直りでなく反省に立ってほしい。反省は、苦手な子の支えになるだろう。反省は、指導の細分化につながるのではないか。例えば①顔の向きを取り上げても、単に相手に向く向かないの二者択一ではない。その間にいくつかの行動選択が予想される。タイミング、協応動作、声調…評価も多様になる。


 ③は結構難しい。本を貸すことに対して、「間をおかず」「間をおいて」了解の返事をする比較である。これは言い方の問題から状況把握まで拡大する気がした。そう考えると、相手に好感を持たれる対応は確かにあるけれど、内面との関わりでそれは「正しい」行為なのか…と、スキルを教わらない世代は考え込む。