すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

休日雑誌拾読,キニナルキ

2015年01月10日 | 雑記帳
 『図書』1月号~作家星野智幸が,マスコミの自主規制に触れながら,急激な国粋化の進行について述べている。

 ◇一気に変化しているように見えるのは,水面下で起こっている変化に,多くの人が気づかないからだ。表面化するのは,すでに積もり積もって飽和した後なので,もはや止めるのはとても難しい。

 今を良しとしない人にとって,着実に起ってきた変化に対してそれを指摘する声に耳を澄まさなかったのは一人一人の責任と言えよう。また,目を凝らすという習慣をどのようにこの国に根づかせるか。



 『ちくま』1月号~穂村弘の連載にあった文章。

 ◇自分のことを大事に考えるあまり丁寧に描き過ぎてブレブレになった自画像よりも,他人がちらっと見て一筆で書いた似顔絵の方が,真実を語っているということか。

 あまり親しくもない人から「あなたは,〇〇なんだね」と言われてドキッとすることがある。外見だけでなく個人の性格などについても同じことが言えるのではないか。細部には多くのことが宿り,一発で見つけられてしまうこともある。



 『本』1月号~妖怪研究家の千葉幹夫が『全国妖怪事典』の編集をするにあたって,課題となった妖怪の定義について紹介している。

 ◇民俗学者の柳田國男は妖怪は神の零落したもの,つまり落ちこぼれだと言った。

 怖いもの,怪しいものという程度しか答えられないのが一般人だと思うが,権威者にそんなふうに定義づけられると,なるほどと思えてくる。そこから恐怖が増すか減るかは,信心?しだいか。



 『波』1月号~作家長嶋有が,小説の優れた書き出しだけを集めたアンソロジー『書き出し小説』の書評を書いている。この分析が鋭い。

 ◇表現の始まりには欲がある。終わりにはない。小説の書き出しには,語りたいし語られたいという(読み手と書き手)双方の欲が宿っている。

 「欲」かあ,と思う。欲望を込められている強さをどんなふうに表現するか,それが書き出しなのかあ。インパクトのあるものも,抑えた叙述も,その後の展開によって意味づけられたり溶け出したりする。音楽のイントロも似ている。