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桜と絵本と豆乳と

日本の大問題だったか

2015年01月13日 | 雑記帳
 いつもの書店,店先にある週刊誌コーナー,いつも一瞥し特に手を伸ばすことはないのだが,今回ある一冊に目がとまり,買い求めてしまった。「AERA」(朝日新聞出版)。一年に1回ぐらい買う時があるかもしれない。今回は表紙買いである。絵,特別編集長,そしてなんともシンプルな特集名。これで雑誌が出来るか。

 その表紙です→http://publications.asahi.com/ecs/tool/cover_image/?image=16606.jpg

 「小山薫堂」自体がもはやブランドとなっているので,そのことは大朝日も十分意図しているのだろう。絵の方はどこかで見かけたタッチではあるが,このセンスはビビッとくるものがある。セルジュ・ブロックという方らしい。つくづく人間とは,緩やかに乱れている線や形に意味を見出すものだと思ったりする。


 冒頭のエッセイは,よしもとばななが「小さな声」と題して綴っている。この題名そのものが「やさしさ」へのキーワードになっていて,改めて考えさせられる出来事や考えが多く詰まっている文章だった。「『ゆずる』感じ」「そのままさ」「損は徳の貯金だと思う」「照れている感じ」…そこに父の声も重なっている。


 「やさしさは価値を生む」と題して,長短あるが40の記事が並ぶ。冒頭の「リレーショナルアート」の発想に驚いた。美術館への来場者は一輪のガーベラを持って帰ることができる。ただし,帰り道はルートを変え,途中で見知らぬ人にその花を渡すことが課せられる。求められるのは勇気?想像力?寛容さ?なのか。


 チンパンジー研究で著名な松沢教授に取材した話が興味深い。「ある性質を持ったものがより多く子孫を残すチャンスがあれば,その性質を持った個体が増える」…唐突だが,この国でヒトという個体が増えなくなった訳は,もしかしたらある性質が拡がらないからではと妄想する。それはもちろん「やさしさ」である。