すぷりんぐぶろぐ

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去年今年を貫くキニナルキ

2015年01月03日 | 雑記帳
 年末から新年にかけて目にした文章で,自分自身まだしっかり消化はできていないが,これから咀嚼していかなければいけないと感じているいくつかをメモしておく。


 ◇伝統的な教育学では、よりよく生産をする人になるための教育ということを考えてきました。よい働き手になるための教育が工夫されていました。しかしそろそろガチでよりよく消費するための教育を考え始めてもいいんじゃないかと思っています。
 (上條晴夫氏)MM「超!エンタメ教育評論」第136号より

 「消費」のための教育がされてこなかったわけではない。しかし,それは常に「生産」と同じ格付けではなかったろう。「生産」と「消費」が切り離されたものでなく,その結びつきをより強固にしていくという視点も含まれるはずだ。


 ◇教育方法の統一化の危険性については、私も朝日新聞の取材で話しておきましたが、インクルーシブやユニバーサルデザインの考え方を "利用して" 学習スタイルを統一させていこうとすることについてあらためて批判的な意見を述べておきます。
 (塩崎義明氏)HP「ザ・教室」2015.1.1より

 ここ数年ずっと頭のなかで渦巻いていることだ。例えば「スタンダード」という言い方にも,「モデル」といった呼び方にもそうした傾向に重なるものがある。なんのためか,それが本質か,そして負の部分はないのか,どう影響するのか…もっと巡らしてみる必要がある。


 ◇学校こそ,日本人を育てる場所です。
 (庭野三省氏)年賀通信より

 その通り。そして「日本人」はどうあるべきか,それが今問われているという認識をしっかり持つべき。そのうえで,日本人としての芯を強く,太くしていくような教育を営んでいく。