すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

雪は強い味方だった

2015年01月19日 | 読書
 我が文集から湧いてくる思い出。今は昔。「二階の窓から飛び降りられるか」、積もった雪面へ。六年生の度胸試しが続いた。今ならすぐに呼び出され、説教だ。まあ今時そんなことをする子はいないか。遊び道具、遊びの場に飢えていたような昔の子どもにとって、雪は強い強い味方だった。絶好のフィールドだった。


 「どふら」…雪を掘ってつくった「落とし穴」をそう呼んでいた。テレビ番組でやるドッキリのようなことを、平気で仕掛けて笑っていた。むろん自分もひっかかったときがある。それも今なら危険な遊びなのだろうなあ。落とし穴に引っかかって雪まみれになっても、「いじめ」とも「いじわる」とも思わなかった。


 ちなみに方言辞典『秋田のことば』には「どふら」という見出しはなかった。「どふり」と書かれてある。「『どふら』山形」とあるので、県南部としては考えられる訛である。解説が面白い。「落とし穴に落ちた様子を擬態語で言ったもの」ほおっ、そうだとしたら「ふり」より「ふら」の方が優しい感じがして素敵?だ。


 もう一つ、忘れられないのは「雪玉割り」。雪玉を徹底的に堅くして、それをぶつけ合って堅さを競うものである。水分を吸い取り!雪面を踏みつけて堅くしたものに擦りつけて大きくしていく。いかにも勝負という雰囲気があった。勝ち抜いた堅い雪玉があれば、取っておきたい気持ちになるほどの優越感に浸った。


 小学生の頃は、そりすべり、竹スキーが家の前の道路でやれる時代だった。想うと、自然の脅威や危険はあったけれど、人為的な危険がはるかに少なかったわけだ。便利なモノ、コトを求めたゆえに危険度が増している現実…わかってはいたが、それが生物としての人間を弱めていて、ナンダカナアと言いたくなる。