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今からでも大丈夫,何が?

2015年01月30日 | 読書
 【2015読了】15冊目 ★
 『還暦からの電脳事始』(高橋源一郎 毎日新聞社)


 広告にはこうある。

 「デジタルなんて」と敬遠しがちな人も、
 「今からでも大丈夫」と勇気づけられること、間違いなし!


 勇気づけられた、という感じは正直しない。

 内容は、ワープロ原稿に早くから切り替えていた結構デジタルな作家が、とうとうiPadを買い、その使いぶりや周囲の電脳状況などをあれこれ語っているだけである。
 真っ向から電脳生活を奨めているわけではないし、新しい活用法を提案しているわけでもない。
 しかし、齢相応に、いや著者独特の視点をもってというべきか、今の「時代」をとらえているし、かなり柔軟な思考でデジタル機器に接していて、同世代(私よりちょっと上の方々か)なら刺激にはなるかもしれない。


 印象深い二つのことがある。
 著者がiPadを買うきっかけの一つは、自分の息子が一年生の時に、誰にも習わずにゲームをダウンロードしたことだ。その是非を問うのではなく、それが普通になっている状況であること。
 もう一つは、あとがきに書かれている。著者の大学ゼミに参加しているO君の話だ。開発途上国の極貧の子どもたちが、街頭に取りつけられたPCをまったくの説明なしで、使いこなし力をつけていくというエピソードだ。

 これらは、現在のPC、デジタル機器等の特性が、知識技能習得などを激変させる要素を持つこと(既にその途上であろう)を端的に示している。
 その過程でおそらく、私達が想像し得ない能力が開発されるのかもしれない。
 あくまで仮に創造性と括るとき、その創造性は今まで培ってきた他の能力や態度とどう折り合うのだろうか。

 これは、大きくはきっと人間観、国家観まで視野に入れて語るべきことだと思われる。

 公教育に携わっている者であれば、誰しもがICT活用の推進は目に見えているわけだが、それ以上に現実社会における動きが加速しているわけで、それを確かな実態としてとらえつつ、対応しなければならないだろう。

 著者は全寮制の学校に息子たちを入れ、その連絡手段として「公衆電話」を使わせているという。
 冒頭のエピソードと重ねると、バランスを考えて…となんとも平凡な結論になってしまうが、その意義づけを怠らないことこそ肝心のように思われる。


 さて、自分自身を重ねれば、近づきつつある「還暦からの」という言葉の後には、電脳ではなくアナログが入りそうだな。
 漢字熟語が相応しい気がするので「実動生活」はどうだろうか。