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指示を発する心がけ

2015年08月02日 | 読書
 【2015読了】68冊目 ★★★
 S13『AさせたいならBと言え ~心を動かす言葉の原則』(岩下修  明治図書)


 前著「『指示』の明確化で授業はよくなる」の中には、こう項目立てされている。

 四 AさせたいならBと「指示」せよ

 その中の第一項はこうだ。

 1「AさせたいならBといえ」~しつけの言葉の原則~

 このきっかけを著者はこう書いている。

 「しつけ」としたのは、もともと親に読んでもらおうとしたからだった


 つまり「させたいことを直接言ってはだめ」ということを、端的に表現した言葉は、単に生活上の「しつけ」に留まらず、学習の場での有効性に多大なる気づきをもたらしたと言ってよい。
 優れた実践の記録と照らし合わせたときに、見事に合致するその原則は、A、Bという記号を使ったインパクトもあり、あっと言う間に一般化していった(と思う)。

 当時の、法則化運動を取り巻く状況から、この本や名言の存在がダイレクトに行政等から勧められたことはないと思う。
 しかしここに挙げられた「探索編」の「子どもを動かす言葉づくりの原則」は、きわめて現場的、実践的であり、有形無形で大きな影響を与えたことは確かであろう。

 読み直してみて、個人的に次のことが今さらながら頭に入った。

 「かくれ指示」…この言葉もずいぶんと使ったような気がする。
 今だと「ヒドゥン・カリキュラム」という言い方で括られると思う。
 しかし、教師の言動は子どもたちにとって常に何かしらの指示を与えていることだと意識したのは、この言葉であったことを思い出した。
 要するに、子どもが「知的に自主的に」動いているとすれば、そこには何らかの「かくれ指示」が作用している。

 「幼児は、輪郭より特異点が知覚しやすい」…「精神人類学」の関連著書を引用して、説明されている。
 うん、なるほど今さらながらに納得する。
 それは音楽、図工、体育などの指導で、意識せずに追試した実践などを振り返れば明らかだ。そしてきっと国語でも、算数でも…。
 この視点は、教育に携わる者全てが身につける必要がある。


 何度も似たようなことを岩下先生は書いている。
 しかしともすれば見失いがちなことだけに、繰り返し書いてもいいし、また引用してもいいと思う。
 指示を発する私たちの、最低限の心がけが次のように書かれている。

 子どもを動かすとは、「子どもの心を前向きに動かす」ということなのである。これだけは、常に心しておきたい。