すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自前でつくる気概と手法

2015年08月24日 | 雑記帳
 浅舞酒造の森谷康市氏の話を聞いた。杜氏の講演という機会はめったになく、日本酒に興味ある者にとっては納得するやら、考えさせられるやら、なかなかいい時間であった。酒のことがメインだが冒頭に語ったのは「人前で発表すること」の意義について。「振り返る」「まとめる」と実にシンプルで明快に括った。


 業者相手に初めて話をすることになるまでのエピソードがいい。断ろうと思って恩師?である方に電話をしたら「チャンスを与えたのだ」と即座に切られた。そこから本当の修業が始まった気がする。ポイントは三つ「習う」「自分を見せる」「まねする」…何事にも通ずる。もう一つ「公言する」も大きな鍵となる。


 商標である「天の戸」とはつきあいが長い。本当に気に入ったのは「美稲(うましね)」という純米酒に出会ってからだ。全量を純米にしたのは、つい3,4年前だから、この「美稲」の存在は大きかったのでは、と勝手に想像する。大阪駅前の飲み屋で、天の戸を話題に主人と日本酒談義を交わしたことも懐かしい。


 最近では「天黒」にはまった。黒麹で仕込む純米原酒である。500MLボトルで発売した「黒」も好きだったので、こういう系統が好みなんだな(と個人的趣味を書いているだけ)。「妄想的『酒』分解図」という講演資料があって、口に入れる時系列の味、香りが示され興味深かった。自分はどの部分に重きを置くか。


 ホームページの表紙にもある「この風景をビンにつめたいと思います。」というコピーは実に秀逸で、また味わい深い。風景にある田んぼで収穫される酒米を使い、仕込み水は流れる川が伏流水となり湧き水である。その精神は従業員の雇い方や仕事の仕方にもあらわれていた。ある意味では自前のブリコラージュだ。


 教育もブリコラージュの発想がほしいとつくづく思う。しかしそれを妨げる要素は大きい。常に他との比較にさらされ、画一化的な動きに収斂されている印象だ。酒造りも地味で手間のかかる、ある意味画一的な作業である。しかしそこに自前で育て、つくる気概と手法があれば美酒は醸し出されるのだ。何を学ぶか。