すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

生き延びる教育には

2015年08月13日 | 読書
 【2015読了】77冊目 ★★★
 『最終講義 生き延びるための七講』(内田樹 文春文庫)


 大学教授退官を前にした時点での講義録。先週少し書いた「身銭」という言葉が、ここでも出てきた。テクストの読み方についてこう述べている。「身銭を切ったものだけが、切った身銭の分を、あるいはそれ以上を、テクストから取り出すことができる」…自分から動く、全身を投じてみる、そうした学びのあり方だ。


 大学教員応募に何度も落ちた経験を語りながら、こんなふうに語る。「『問題児枠』とか、『バカ枠』とか、秀才とは別枠でとってくれたっていいじゃないか」これはある意味で様々な組織体にも同様に言えることではないだろうか。標準化・規格化している成員による組織がどんな末路をたどるか、歴史が証明している。


 特に怖いのは教育に関わる組織である。同じ方を向き、同じような指導の仕方をすることの異常性は誰しも感じながら、知らず知らずのうちにそうした路線に近づいていることに危機感を持つ。個性、多様性と言いながら、現場を縛り付けてきていることは、教員採用に関わることや免許更新制を振り返れば顕著だ。


 「学校には『謎』や『暗がり』がなければならない」という言葉は素敵だ。学校は常に明解であり、一貫した指導方針の下、きちんと説明責任を果たす姿が求められている。自分もそんなふうに努めているのだが、子どもが学ぶ、育つ場はけして陽の当たる場だけではないという思いもある。意図的な振舞も必要か。


 学校現場の教員世代がどんな価値観を持っているかも検討に値すると改めて思った。自分のような高度成長期に小・中時代を過ごした者が最上部とすると、その下の世代には、量から質への転換があった。消費至上主義に染められた面は残るにしろ、「生き延びる」教育を考えた時、よりしたたかであるとは言えまいか。