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教育の目標のシフト

2015年08月14日 | 読書
 『最終講義 生き延びるための七講』(内田樹・文春文庫)には文庫版付録として昨年末の講演記録が付けられていた。演題は「共生する作法」。「共生」は生き延びるためのキーワードだが、能力やコミュニケーションの仕方などの「自分の問題」としてではなく、集団の「仕組み」の問題とすることが筆者の考えだ。


 この講演には、教育に関する筆者の知見が色濃く出ている。まず、難民キャンプを例として、集団に発生する優先順位を次のようにした。「祈り(弔い)」「裁き」「癒し(医療)」そして「学び」つまり教育である。学校教育とは個に向けられるというより「集団の存続」のためにある意味を、もっと噛みしめてみたい。


 筆者自身が教員評価システムを推進した立場で、反省をしながら結論を述べている。曰く「教育という事業の成果は、教員個人個人について計測するものではなくて、教師たちの集合体、ファカルティを単位にして見なければならない」…初等教育の場合、これは単年度的、単独校的な立場でしてはいけないと気づいた。


 痛快なのは「『グローバル人材』は誰のために必要なのか」という章である。言われてみればもっともだが、グローバル人材とは入替可能な人材のことだ。「いなくなっても誰も困らない人間」と筆者は言う。世界で活躍できる、英語やPCが堪能で、タフでどこにも飛んでいける…私たちはそういう人材を育てたいのか。


 「周りの人から『あなたがいなくなっては困る』と言われるような人」という実に味わい深い表現で、「成熟した市民」の姿を描いている。自分の周辺にも、そういう佇まいを見せている人が数多くいる。地域社会の存続はそうした人に支えられているし、教育の目標はもっとそのつながりにシフトしていいと思った。