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一分を生きる連続で

2015年08月19日 | 読書
 【2015読了】82冊目 ★★
 『悩みと縁のない生き方 「日々是好日」経』(アルボムッレ・スマナサ―ラ  サンガ)

 仏教徒ではないが、たまにはこうした本に触れてみたいという気持ちが湧く。年に2,3冊は読んでいる気がする。それが続いていること自体が煩悩から抜け出せない証拠だろう。さて、まずは自らの間違いに気づく、「日々」を「ひび」と読んでいたがこれは「にちにち」であるということ。それだけでも価値があった。


 「日日是好日」経の経典の冒頭が、この本の基になっている。「過去をおいゆくことなく また未来を願いゆくことなし/過去はすでに過ぎ去りしもの 未来は未だ来ぬものゆえに」。つまり、過去に足を引っぱられることなく、将来・未来を気にすることなく生きる、それはいかに「現在」に集中できるかということだ。


 そのために発せられた問いかけは考えさせられる。「どれぐらいの時間が『現在』になるのでしょうか」…厳密にいえば、「今」という言葉はそれを口にした瞬間に過去になるわけだが、生きていく時間として「今」をどの程度に設定するかは興味深いことだ。筆者は「『現在』の時間が短いほど成功する」と説いている。


 さらに「俗世間のみなさんは、自分の『今』を『一分』と思ってみてはいかがでしょうか」と提案する。この一分をどう過ごすか、目の前に起こることを一分で解決していく…刹那的に思えるかもしれないが、妙に説得力もある。現実には風邪の頭痛が一分で解決するわけではないが、どう対応するかで、答えは出る。


 一分を生きる連続で過ごす発想は、情報過多過密の世界にあって有効なのかもしれない。ただ本書にある「仏教の性格論」で、自分は「思考型」(何でも複雑にゴチャゴチャ考えて行動するタイプ)らしい。変えられないその現実からは、過去を足枷にせず未来に縛られず目の前の現在を生きる困難さが見える。