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間抜けのレベルを問う

2019年03月07日 | 雑記帳
 10億円の保釈金を払って拘置所から出てきた姿を、多くのカメラが捉えた。帽子、作業着、反射ベスト、マスク等々の変装はほとんど意味をなさず、促されて乗り込む際も少し間違えた仕草があった末に、軽ワゴン車へ乗り込んだ様子をみて、「なんと間抜けなことを…」と思った。同感の人も多かったのではないか。


 出入口はそのまま、停めた車もすぐ前で、サポートする人数も多いとなれば、すぐに見破られると予想できたのではないか。群がるマスコミ攻勢を避けるためだろうと同情もわくが、あまりにお粗末。これが、有能な弁護士団の提案なのかと思わせるほどだ。さて、頭の中に浮かんだ「間抜け」という語、久々に使う。


 意味は「ばかげた失敗をする人、様子」である。いわゆる「間」が「抜ける」から来ている。語源は「音曲や芝居などで、拍子が抜けたり、調子がはずれたりすることから」と載っている(三省堂・現代新国語辞典)。変装して気づかれず騒がれずに戻ることが、抜かりなく出来なかった。抜けていたのは、一体誰か。


 いや、それよりも無罪を主張するなら、堂々とするべきだろう。事の正当性と、態度・姿勢とは一致しないとはいえ、可視される姿は大事だ。間抜けを類語で調べると三つの区分がされている。「愚鈍」「愚者」「油断する」。保釈出所だけをみれば、愚鈍としか言いようがない。真相解明によって真のレベルが決まる。


 報道は一斉にその件を伝えているが、例によって乗り込んだ軽ワゴンがスズキだとか、かぶっていた帽子がどうのと騒々しい。ネットを覗いてみたら埼玉の某企業のマークがある。おっ、これはカミナリではないか。帽子の色は青だ。こっ、これはまさしく「青天の霹靂」か。そんなジョークだったら笑えるのにね。