すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

今日の用は、教養

2019年03月15日 | 読書
 年配者の集まりに行くと、挨拶で「必要なのは、キョウイクとキョウヨウだ」と話される方がよく居る。流行みたいなものだ。教育教養を「今日行く所と今日の用」に引っ掛けている。笑いも出たりするが、肝心の教育と教養が身についているかと問われれば、レベルの高さは知れている。流行で済まされない。


2019読了29
 『おとなの教養』(池上彰 NHK出版新書)

 そもそも「教養」とは何かを考える時、辞書の意味では今一つぴんとこないだろう。この書の冒頭から使われている「リベラルアーツ」(一般教養、実用から離れた教養の意)を基にしてみたい。リベラルアーツの意味は「人を自由にする学問」だという。この意味を砕いて説明している箇所を引用し、定義づけてみる。


 「人間をさまざまな偏見や束縛から逃れさせ、自由な発想や思考を展開させる学問」と言えそうだ。ヨーロッパの大学では19~20世紀までこのリベラルアーツが七科目教えられていた。それに倣い著者は「現代の自由七科」と称し次の科目を挙げる。「宗教・宇宙・人類の旅路・人間と病気・経済学・歴史・日本と日本人」。


 この分類はやや便宜的(実際の講義のため)かもしれない。しかしいずれ、宗教・宇宙・経済・歴史あたりは異論はないだろう。そして副題「私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」という、おそらく読み手の多くが持つだろう問いへのヒントになることは確かだ。みんな自分の源流や立ち位置を知りたいのだ。


 それが見えれば、一つ落ち着くだろう。情報化社会の進展は、学ぶ内容も学び方も変化させている。一般教養など知らなくても調べればいいといった風潮もある。しかし「すぐに役立つことは、すぐ役立たなくなる」という名言の裏を返せば、「すぐには役立たないこと」の価値は、鈍くいつまでも輝き続けるはずだ。