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圏外思考宣言その3

2019年03月24日 | 読書
―――どんなものにも『役割』と『詩』がある

2019読了30
 『圏外へ』(吉田篤弘  小学館文庫)



 数年前まで多用していた言葉の一つに「当事者性」があった。様々な組織や業務について検討を求められることが多く、世代的にもそうした会に携わることが増えていた。その中でプランやアイデアを提示する側に立つとき、ずいぶんと「当事者性を持って」とアピールした気がする。それは誰に向けたのだったか。


 言うまでもなく、圏外ではなく圏内にいる人たちである。自分の願いや見通しを明らかにしながら考えて、決断してくれるように求めた。しかし今考えると難しい話だ。例えばある特定の活動について検討していく場合であれば、そこにある「役割」をどうするか議論はできても、「」について語り合う余裕はない。


 「」とは役立たないものだが、心の中に張り巡らされたり、溜まっていったりして、気持ちに寄り添ってくれる微細なものとでも表現しておこうか。実は皆それぞれ持ち合わせているが、表立って口にしたりしないだろう。そういった部分をムダ、非効率と切り捨ててしまうことによって、逆に失うものはないのか。


 圏外から見つめると、意外にそんな全体像を捉えられたりする。だから、よく改革に必要な人材として「よそ者、若者、馬鹿者」が挙げられるのかもしれない。つまりは圏に収まらない者としての典型だからである。地域の自然、文化等の良さを口にする時も、役割だけでは語られないことは誰しも知っているだろう。


 「圏」という語は捉え方によって大きくも小さくもなる。人間が物理的に脱け出せない圏以外であれば、様々に自分を取り巻く圏を柔軟に行き来したい。つまり圏外思考とは、圏を見渡しながら立ち位置を確かめ、生の充実を図ることだ。見えづらい圏の存在を指摘してくれる他者の存在も不可欠だ。一歩踏み出そう。