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「晴天の霹靂」でどうでしょう

2019年03月05日 | 雑記帳
 録画しておいた映画『青天の霹靂』(劇団ひとり原作・監督)を先日観ていたときに、思わず笑ってしまうシーンがあった。主人公がタイムスリップする展開で、終盤に彼自身が母から産まれてくる形と重なって現在へ戻るのだが、母親がぐうたらな父親に向かって、子どもの名前を考えているのかと訊ねたときの返答だ。


 「今、晴れているから、晴夫だ!」…このいい加減さを、デタラメとみるか、良い加減(笑)とみるか。自分が笑った理由は、幼い頃、母に「どうして晴夫という名前をつけたのか」と尋ね「名前は父がつけた。その日が本当にいい天気だったから、と言っていた」と聞いたことを思い出したのだ。偶然だが、根は同じだ。


 映画に出てくる父親以上に情けない男だった気もするが、真相はわからない。いかにも昭和チックな名前は、当時のマジシャンや歌手のなかにもあったし、若干の好みがあったかもしれない。まあ齢をとってくると、音の響きを求めたり、過剰に意味を込めたりされる名前より、シンプルさが身の丈に合う気がする。


 間違えようのない名前だ。しかし実は二度、しかも大事な場で読み間違えられている。小学校の入学式点呼、書かれた字が誤りだったのか「セイテン」つまり「晴天」と呼ばれた。二度目は40歳頃、県の研究大会で表彰を受けた時、何故か「アキオ」と言われた。どう勘違いすればそうなるか。季節は確かに秋だったが…。


 今日で丸63年、この名前と一緒に歩いた。何の疑問を持たずにきたが、昔は隠居後に別名を付けたと聞いた。ちなみに勝小吉(勝海舟の父)は夢酔であったそうな。退職して隠居宣言をした折に考えるべきだったと悔やむ。ここは遅ればせながら、以前セイテンと呼ばれたつながりで「霹靂」はどうか、と思いつく。