すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

武士道精神に入り込めば

2019年03月29日 | 雑記帳
 貴景勝は大関昇進の口上でどんな四字熟語を使うのかなと、夫婦で話題にしていたら、少し体をかわされた感じの「武士道精神」だった。なるほどと一瞬は思い、まあ堂々と潔くみたいな感じだろうと考えつつ、少し気にかかる。「武士道」ってそもそも何?広辞苑の語釈は「日本の武士階層に発達した道徳」である。


 中身はともかく、一般的に「武士道」という時パッと新渡戸稲造の名が挙がる。これは諸外国に向けて日本人の精神構造を解明、紹介した意義が大きい。しかし武士道に関する解釈は、ウィキペディアによれば「厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる」とある。その点は留意するべきだ。


 とは言っても、多くの辞書に共通するキーワードは「忠孝・節操・信義・礼節」等である。そして倫理として見た場合、大きく二つに分かれる。「死を賭して主君に奉公する」と「主君・家来ともに儒教倫理に基礎をおいて振る舞う」前者は「~と云ふは死ぬ事と見付けたり」で有名な『葉隠』。後者は「士道」の考え方だ。


 貴景勝は細かい点までこだわったわけではないだろうし、主従関係ではなく核になる強靭な精神をイメージしているに違いない。さらに、自分の攻めの特徴つまり突き押しを考えた時に思い浮かぶ、何事にも正対する構え、姑息な手段を用いず、まして卑怯な振舞いをしないことが挙がる。今、一番聞かせたい人たちは…。


 そう言えば、ドラマ『まんぷく』で母親役の名台詞であった「私は武士の娘だから…」。一種のギャグのように「恥ずかしい真似はできない」ことの言い訳のように使われた。ただ、根本精神にある「」の概念は、欧米化が進むなか衰退した貴重な価値であった。武士道にも密接に通ずる。そう思うといい口上だった。