すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

よく見つめ、見渡す

2019年03月17日 | 雑記帳
 昨日の地元紙朝刊に、某小学校卒業式で校長が卒業生の似顔絵を贈った微笑ましい話題が載った。専門分野を持つ強みを生かしたことに感じ入った。記事にはそのきっかけになったのは、中学での生徒の自画像制作・展示にあると記されていて、そう言えば自分も高学年担任時に自画像を描かせたなあと思い出した。


 あれは、絵の具の三原色だけを使うキミ子方式という手法に取り組んでいた頃だ。もやし、葱、バケツ、樹木の風景画など様々な題材を扱った。確かPTA授業参観時には掲示できるように計画した。顔の中心つまり鼻を一番先に描き、そこから拡げていく手順だったと思う。顔を触り、鏡を見て、3時間程度だったか。


 出来上がりの詳細は忘れたが、完成した作品を見てどこか満足しきれない様子の子どもたちを見て、こんなことを言った覚えがある。「家族の誰かに似ていたら、それはとても素晴らしい作品だ」。そしたら子どもたちは「あれ」「えっ」と口々に言い始めた。親との懇談時にはそんな話題を出して、一緒に見入った。


 図工の内容も様変わりし、今はじっくりと絵画に取り組むことも少なくなっているだろう。まして自画像などは少ないだろう。しかし高学年であればその時間は、自分をよく見つめ直すいい機会になるように思う。絵もそうだが「名前」を取り上げて、語の意味を探るなかで行動や性格などを振り返る時間を持てる。


 最近のトピックスでは例の「王子様」の改名にはさすがに唸った。キラキラネーム全盛期だったとはいえ、その子がどんなふうに名前と過ごしたかを想像すれば、笑い話では済まない。ずばり言えば、自分と向き合ってこなかったのは親だ。個々の責任のみならず時代が作りだした落とし穴か。見つめ見渡す時がほしい。