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圏外思考宣言その2

2019年03月23日 | 読書
 「私はいま圏外にいる。この小気味良さである

2019読了30
 『圏外へ』(吉田篤弘  小学館文庫)



 あれは平成16年度だから今から15年前、秋田県の教職員広域人事交流が本格化した(そして今その実態は見事に鎮まった)。その記念すべき(笑)節目に「圏外」異動を言い渡された。実際は二十数キロしか離れない完全な通勤圏内ではあったのだが、勤務や教育を取り巻く片々のことを、明らかに「圏外」と意識した。


 自分にとっては当時も現在も貴重な経験と思えている。些細な点だが今まで普通に感じていたことが否定される現実、そして何故私たちはこんな小さな圏に囚われているのかという疑問…その中でも比較的自由に事を成したのは、鈍感さとともに、ある意味で縛りの解かれた解放感が後押ししてくれたのかもしれない。


 ここで語った圏とは行政上の圏に近い。ただそれは同時に心理的な圏と重なっていた。しかし、よくよく考えると瑣末な事とは言え、交流人事とはある意図を持った圏の拡大ということが出来よう。一律化、平準化を狙う。情報化の進展が後押しをした。実は圏外に出たわけではなく、より広い圏の意識の強制だった。


 さて、携帯端末が象徴していることは大きい。全てがそれで操作される世の中に近づきつつある。多くの便利なものがそうであるように、使っているつもりが使われている状況に陥っていないか。自分と他をつなぐのではなく、心身をぐるぐる巻きしている鎖のような存在になっていないか。極端な話と笑えるのか。


 昔のように頻繁に圏外サインが表示される時代ではない。しかし脱出を求めるなら、スイッチ一つで可能だ。この一節は、生きている現実は圏に縛られない空間、時間にあることを意味している。「世間にも世俗にも世界にも追われることなく、しかし、それでいながら、しっかりとこの世の地図上の現実に立っている