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桜と絵本と豆乳と

ある世代として残すべきこと

2019年03月20日 | 読書
 なんとなくこの頃は世代論が流行らなくなった気がしている。
 年齢層人口の不均衡もあるだろう。
 そして急激な社会変貌が、全体を呑み込んでいて、あまり世代区分が意味をなさなくなったということもあるのではないか。


Volume.154
 「これからは、自分の年代じゃないと分からない過去を素材に作ろう、いや作らないといけないのかな、と思っています。僕は戦争が終わって10年目に生まれた人間ですから、そこから逃げるつもりはない。」


 劇作家野田秀樹と同齢である。
 間違いなく、我々世代のトップランナーの一人だろう。
 野田が上のように語っている文章を読み、少し考え込んでしまった。

 ノスタルジックな思いを越えて、残したいモノ、コトいや残すべきモノ、コトをもっと冷静に考え、顕在化させる役割があるのかもしれない。
 モノ、コトを残すとはココロを残すことでもある。

 まだ戦争の跡が感じられた世の中が急速に発展を遂げた(真の意味での)高度成長時代に、たくさんの日本人が頑張った証しはたくさんある。
 様々なメディアでも取り上げられている。

 それらの事物を実感として捉えることができた世代として、単なる歴史の記憶にしないで、そこにあった精神の普遍的な部分を抽出すべき、伝達すべきということになるだろう。

 野田のような一流の表現者でなくとも、全国様々な場所に数多く居る戦後10年目世代は、来し方を振り返り、今からでも出来ることを数えてみよう。そんなことを考えた。