すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ストロークの弱い連ドラ

2015年09月20日 | 雑記帳
 休日なので、テレビネタを書き散らそう。朝の連続ドラマ視聴を始めて数年経つが、今回の「まれ」はどうも脚本がよくない気がする。終盤に来てますますその思いが強い。それでもだらだら見続けてしまうのが朝ドラなので…(と勝手な言いぐさだ)。気になってネット検索すると、同様の不満があるわ、あるわ。


 スタートの時点からの批判もあるが、目立ってきたのは7,8月頃のようだ。自分にしても最初の能登編あたりはまだ今後を期待してみていた。横浜編になったときに、何度も能登を差し込んだりして、なんだこれは「あまちゃん」もどきか、と思ったのが始まりだ。どうも散漫な印象が残るつくり。全てが中途半端だ。


 新しい展開として「嫁いびり」を出したというが、それもしかり。徹底していない。出産に対する姑の不安を抱く場面であれば、普通は姑の辛く悲しい過去の経験などが背景にあるが、それもあっさりで肩透かしが多い。現在にたどり着くため、年月が跳ぶのは仕方ないが、細かい場面が跳んでいるので深みがない。


 ネット上のいろいろな分析、批判も面白い。一週目から代案まで書いているこちらのサイトは、勉強になる。ここで一番に挙げられている「ストロークの足りなさ、弱さ」が、今の自分の考えにぴたりと当てはまる。これを既に一週目で見抜いたというのは、さすがの眼力だ。「捨てる勇気」も全く同様で共感する。


 脚本家の責任だけなのかと書いた「日刊ゲンダイ」の記事も、確かにと思った。向き不向きがあるだろう…そういえば個人的には遊川脚本と期待した「純と愛」もそんな気がした。ともあれ「まれ」も最終週に突入する。キャストはとても良かったのに、それらに生き生き感が宿らなくなったことが微妙にわかる結末だ。



多様性から見せつけられる

2015年09月19日 | 雑記帳
 『ソトコト』の「みんなの多様性」という特集は、ずいぶんと考えさせられる。そもそも「LGBT(性的少数者)」という言葉も初めて知った。多様性と言いながら同性愛者や性同一障害者を合わせて括らなければならないという事実は、いかに理解が進まないかを表している気がする。ある意味わかりやすさとは対極だ。


 障害者を取材対象としている『コトノネ』という雑誌があるそうだ。その代表が語る言葉には発想の転換がある。「僕はずっと支援やと思っていた。困っている弱者への支援やないかって。でも向かうべきはそっちやなくて、障害者が困っているという状況をつくった社会のほうを変えていくべきやないかって…


 これは、ユニバーサルデザインに通ずる考えだろう。表現は適切ではないかもしれないが、理想は、障害者も健常者も互いにメリットを受けられるような設定である。そうした時、明らかに効率ということが頭をよぎるが、結局それは経済的な視点と重なる。価値観が問われている。たぶん「授業づくり」もそうだ。



 「アール・ブリュット」も初めて知った言葉だ。「美術教育を受けていない人がつくる“生の芸術”」という意味。それに心から感動できる、そこまでいかなくとも浸れる感性が出発点になるのか。専門の美術館を仕掛けた人は「多様性という言葉を使うほど多様性を認めていなかったりするし…」と本質を突いてくる。


 「サイレント・カフェ」…耳の聴こえない人たちが、演奏の場があるカフェを営んでいる。そこで曲を聴くとすれば、いったい自分は何を感ずることができるか。音楽として示された全体のいくらを受け取っているのか、という問いに通ずる。障害を持つ人たちから見せつけられるのは、おそらく貧弱な自分の感性だ。

興味にそって動けば…

2015年09月18日 | 雑記帳
 数か月ぶりに買った月刊誌『ソトコト』10月号(木楽舎)が面白かった。

 特集は「みんなの多様性・ユニバーサルデザイン」。
 特集に入る前の福岡伸一教授の連載の内容も興味深かった。
 「ガン治療の画期的な展望」と題して、こんなことを書いている。

 もし究極のガン治療があるとすれば、それは内なる敵としてのガン細胞と正面から戦うことではない。むしろ、ガン細胞に「君は、もともとちゃんとした大人の細胞だったはずだろ。正気を取り戻したまえ」と諭すことである。


 ガンは自分自身の細胞が変化したものだから、細菌やウィルスと異なる「戦い方」があるのだろう。
 それにしても、巧い比喩だと思う。
 よくガン患者の奇跡的な治癒(山登りをしたらガンが消えたなど)が話題になったりするが、結局上のような「諭し」が、知らず知らずのうちに行われていたということだろうか。

 教授のエッセイは、基礎研究段階としてそうした動物実験が成功したことを書いている。自前でやれればそれに越したことはない。諭す力を身につければ不老長寿か。


 多様性という特集のトップは、「探検昆虫学者」という肩書?を持つ西田賢司氏へのインタビュー。
 コスタリカという国で18年も研究を続けているらしい。
 昆虫の多様性に目をつけることで、様々なものにつながっていくことができるのだと言う。

 テレビドラマの「相棒」をよく観ていると語り、次のように続けた。

 ほかの人が気にならないところが気になる右京さんは、僕と同じです(笑)自分の興味に沿って動いていくと、その結果が他の人が求めていることにつながったり、大きく展開していったり、まさに「相棒」的な展開をすることがある。


 これは先日書いた感覚的思考の薦めと言ってもいいことだと思う。
 養老先生も昆虫好きで知られており、どこか共通するイメージがある。

 多様性の原点は多種であること、つながりがあること。
 切り口を見つけて探っていく、新しい発見をしていく…仕事の醍醐味とはそんなふうに意義づけられる。
 
 何事も興味に沿って動くことを可能にする環境づくりに尽きるような気がしてきた。
 そのためには、周りからどう見られようと揺るがない信念を持つことなのかな。

「つくる」という広さ、深さ

2015年09月17日 | 雑記帳
 来年度の新しい統合小学校の準備に取り掛かっている。様々な内容のなかで、教育目標案を示しておくことは大事な仕事である。アプローチは多様だが、スローガン的文言は自在性があり、教育内容と結びつけやすいだろうと考えた。そこで教育コピーライターを自称?する私が導きだした言葉は「つくる」である。


 「つくる」は周知のように意味の広いことばである。広辞苑の文章を引用しながら考えてみる。

 つくる【作る・造る】材料にあれこれ手を加えて目的の物をこしらえ出す

 大きな分類として、次の3つがある。

 ① 別の新しいものを生み出す
 ② 無いものをあるようにする
 ③ 鬨(とき)の声をあげる。報ずる。

 当然①の意味が主となる。②と③は用例からみて、古文的な扱いである。

 さて、①は全部で11に区分されている。

 (1) こしらえる。くみたてる。
 (2) 耕作する。栽培する。
 (3) かもす。醸造する。
 (4) ある形にととのえる。かたちづくる。
 (5) ある結果を生じさせる。
 (6) 子をうむ。出産する。
 (7) 設立する。創造する。
 (8) 料理する。
 (9) 治める。経営する。
 (10) 育てる。養成する。
 (11) 囲碁で打ち終わった後に盤面を整理して、双方の地を数え、勝敗をあきらかにする。


 (6)と(11)を除けば、どれも学校教育の内容に深く結び付くものであり、なかなかいい選択だと思った。


 「つくる」ためには、様々な「動き」が必要だし、「工夫」もほしい、さらには「時間」は欠かせない。「作る」「造る」だけでなく「創る」も知られている言葉である。私はかつて、教務をしていた頃に出した校内報の名前を「為」と書き「つくる」とルビを振っていた。これは読める人は少ないだろうが、意味は深い。


 「為」は会意文字で「象を手なづける」が起源である。調教は極端だが、いずれ教育は「つくる」仕事でありたい。何を、どんなふうにつくるかをたえず意識したい。構えとしてはふさわしい。と、実際はずっと心に宿していた一篇、まど・みちおの名詩「朝がくると」。その精神を盛り込めないかと考えたのだった。

遥かなる八木山BL

2015年09月16日 | 雑記帳
 修学旅行のDVDがほぼ完成した。今回、遊園地のシーンで八木山ベニーランドのテーマ曲を使おうかなとふと思いついた。結局採用は見送ったが、その曲を入手するためにyoutubeで調べたら、結構面白いなあと思った。知っている人が多いのかどうか定かでないが、あのテーマは三番まで歌詞があるのだった。


 完全に知っているのは「♪ヤンヤンヤヤー 八木山の ベニーランドで でっかい夢がはずむよ はねるよ ころがるよ」のところだけで、それ以外の歌詞についてはあまり考えなかった。上の娘が幼い頃、テレビでも頻繁にかかっていたのか、結構その歌を口ずさんで遊んだ記憶がある。実に懐かしく思い出される。


 懐かしいと言えば、先日の引率で職員と話していた時、学生時代にこのベニーランドに来たかと問われて、遊園地に来る柄ではなかったが、一度だけ野外ロックコンサートが2日間行われた時に観に来たことを思い出した。一日目のトリはサディスティック・ミカバンド、そして二日目は、なんとあのキャロルだった。


 東北初というそのステージでフラッシュ照明を使うステージを初めて見て、田舎者はアホッと口を空けてみていた。それより主催者が大学の先輩で「来年やる時は前座で出してやる」と声をかけられたので、仲間たちとやたらと盛り上がった記憶がある。70年代中頃の日本の典型か。結局、翌年は開催されなかった(涙)。


 ベニーランドには引率としてもう十数回来ている。昔は嬉々として動き回る子だけだったが、この頃はそうでない子もぽつぽつ見える。一緒に絶叫マシーンに乗る勇気もなく、観覧車あたりに誘い込む、数年前驚いたのは、ベニーランドまでやって来て雲梯(うんてい)をしている子を見たとき。安心感なのだろうか。

ある引退~概念と感覚

2015年09月15日 | 読書
 【2015読了】89冊目 ★
 『騎手の一分 競馬界の真実』(藤田伸二  講談社現代新書)

 【2015読了】90冊目 ★★★
 『養老訓』(養老孟司  新潮社)



 『養老訓』の「訓の弐 感覚的に生きる」が考えさせられた。感覚的思考と概念的思考について語る。特異な進化をして文明を築けたのは、人間が概念的思考を持てたからに他ならない。複雑な言語を操り、物や土地、ある意味では時間まで支配し、地球上の大半を手に治めるべく、概念による囲い込みを止めない。


 人気ジョッキーであった藤田が引退を発表したのは今月上旬。2年前に発刊した新書を取り寄せてみた。そこにはエージェント制(競馬記者による騎乗馬の仲介)に毒されている?業界に対する不信を中心にしながら、レースを取り巻く様々な実情が記されていた。言ってみればこれは概念的思考の横行だと思った。


 乗馬にしたって感覚ばかりでなく概念的思考が必要だ。まして競馬というスポーツ(ギャンブルでもある)においては当然、その思考で動いていく要素が強い。しかし様々な開放策やら情報産業の拡大によって、行き過ぎた時流となり、馬と騎手と関係者が、感覚で分かり合うことが制限されている。その嘆きである。


 そんな現実に愛想をつかしての引退は、感覚的だろうか、概念的だろうか。騎乗馬が少なくなる現実への判断は、やはりとても概念的だろう。ある意味で馬に乗り、速く走るという点を研ぎ澄ましていれば、選択は別に転がったかもしれない。結局、何事も毒されている自分をどう見つめるか。その中で何を信じるか。


 概念的思考から脱け出せない人間だとすれば、あらゆる選択の時にいくつかの訓があればいい。養老先生はかく語る。「決まりごとに束縛されない」「制度を過信しない」「抜け道は悪くない」等々、つまり「いいかげんがいい」ということ。自分の感覚を信じるには、こんなふうに文字ばかり見ていては駄目だなあ(笑)。

週末映像編集三昧

2015年09月14日 | 雑記帳
 この土日は、先週の修学旅行のビデオ、写真編集に時間を割いた。こんな形で始めたのはいつからだったか、と記憶をたどってみたら、ざっと9年前。フォトムービーの作れるソフトを買い、学校行事などで試しながら、少しずつ満足できるものが作れるようになった。初期の会心作は、姪の結婚式、披露宴だった。


 動画編集ソフト購入は5年ほど前だったろうか。これも面白かったが途中でフリーズしたり、焼きつけられなかったりで、苦労が多かった。スペックの高いPCに換えてからはそんなにトラブらず、調子よく働いている。6月の同期会の映像は、その月のうちに簡単に作成することができ、手慣れてきた感覚を持った。


 ちょうど土曜日、夕方から件の同期会反省会で、それならと思いDVDを持ち込んだ。そしたら、同じように係の撮った写真を専門家?がDVD化していて、その放映をするそうな…。写真自体はかち合わないのだが、レベルに大差があったらどうしようとやや不安だった。結果は圧勝(と錯覚か)で気分を良くした。


 日曜日、宴会の次の日であるのに3時過ぎには目が冴えてしまい、それならと思い一気にビデオ制作後半に入る。画像入力はほぼ終わったが、文字入れ、音入れ等に時間がかかる。バスケ大会応援で中断しながら、夕方には仮作品が完成。不満足な点はあるが、まずはいったんまとめてみた。試写したら、やはり不満。


 完成に向けて若干時間がかかりそうだ。やればやるほど欲が出るが、もう少し撮影技術を磨かないと、いくら構成だけを工夫してもレベルアップは図れない。今回、少しはアングルで演出できるかもしれないと気づき、意識した。ポイントは中心ずらし、テレビでも多用されている。腕を磨きたいと思うのはいいことだ。

20年前の「支援」を見ながら

2015年09月13日 | 雑記帳
 20年前の古い研究紀要を見ていたら、当時の研究主任が「教師の支援」という資料を載せていた。「支援」という言葉が使われ始めてどのくらい経った頃だろう。生活科が始まり「支援」を浸透させることが大きな流れだったように思う。やや俯瞰した形でそのことを振り返られる今でも、この資料はなかなか面白い。


 支援を5種類に分けている。「1見守り待つ支援(理解)」「2受け入れる支援(共感)」「3うながす支援・引き出す支援」「4教える支援」「5制御する支援」若干カテゴリーが違ったり、レベル差を感じたりする表現はあるが、そこに盛られたなんと50!の支援行動は、なかなか興味深い。ポイントは2と3だ。


 「2受け入れる支援」は全部で13。「受け止め」「代弁する」「承認する」「許容する」「感嘆表現」「称賛する」「感謝」「同一行動」「応じる」「確認する」「慰め」「うかがい」「希望確認」…これらは日常のコミュニケーションの共感行動でもある。自分は何を一番多く使うか、また苦手なのはどれだろう。


 自分に少ないのは「感嘆」や「称賛」かもしれない。子ども相手には出来るけれど、大人だと、ついそれよりも…と追求的な意識が出てきてしまい、きつい言い回しになることを反省する。結局「受け入れる」という寛容さに欠けることなのか。その点、多くの同僚はその点をクリアできていて、羨ましい限りである。


 「支援」は今や一般的な語。この流布が教育界に影響を与えた面は大きい。いや、時流がそう動き「支援」が後押ししたと言えるかもしれない。「支援でなく厳とした指導を」といくら述べても、受け入れられる要素は狭まっている。その現状を作り出してきた責任の一端は自分たちにあることも自覚せねばならない。

9月号のキニナルキ

2015年09月12日 | 読書
 『図書』
 「最初からコミュニケートできる本に、おそらく読む価値はない。どこかよそよそしい本のページをめくるときにこそ、実りある読書が始まる。」(福嶋聡) 読書に何を求めているかが、まず問われる。それをコミュニケーションと括れば、自分のコミュニケーションの方向や対象とまったく重なってくるのだろうな。


 『新刊展望』
 「二年、三年経つうちに、雪平のほうから〈そろそろまたきちんと歳をとってきたよ〉と言われた気がして…」(秦建日子) あの『アンフェア』の原作者がそんなふうに語っている。作家なら当然かもしれないが、内部に別の人格を育てている。内なるエネルギーを昇華するため、表現者の一つの手法として典型的か。


『ちくま』
(鶴見俊輔は)あらゆるものは途上の段階にあり、それについて語ることは、とりあえずの、いつでも訂正のきく言葉でなければならなかった(四方田犬彦) 恥ずかしながら、学生時代『思想の科学』誌を購読していた。最終的なものはまだ遠くにあるとアホみたいに考える癖は、当時からか。影響を受けていた。


 『波』
 「伝えたいメッセージがある人は、その場に立つだけで、相手に何かが伝わります。」(吉田尚記) 「何か」が「伝えたいメッセージ」とは限らないだろう。しかし、おそらくは「伝えたい」という強い気持ちが引き起こす存在のゆらぎ?は見える。少なくとも、伝えることを職業としている人はその感覚を身に付けている.


 『窓』
 「私たちは、一見、公正に見えるインターネット社会で、情報操作の大海原に漂っている」(平田オリザ) ネットは世界共通であるから、世界中と情報を共有しているような錯覚にとらわれてはいけない。操作された情報によって、私たち自身が狭められ、閉ざされた空間から抜け出せなくなっている可能性もある。

こんなことを喋ってきた・壱

2015年09月11日 | 雑記帳
 地域にある国語教育の研究会にずっと所属してきた。
 いろいろな会の時に挨拶する立場になって十数年、データとして残っている原稿を眺めてみた。
 当時の自分が言いたかったことはおそらくここだなと、今の自分が感じた箇所を再録しておこう。
 と言っても、あまり変わらないか(進歩していないか)。

 今回は授業研究会編。いつかまた別編の予定。


2003年
 「授業をこなす」ことと「授業をつくる」ことには、やはり大きな差があるはずです。両方とも主語は教師ですが、子どもにも教師自身にとってもどちらに価値があるかは言うまでもないことです。本来、私たちの仕事の核、そして楽しみ、醍醐味といったものは、そこにあるということをもう一度確認したいものだなあと思います。授業研究会は、そうした確認の場でもあるなあとこのごろ思います。

(2005年は、広域異動で郡市内にいなかった)

2007年
 (会場だった学校が、TVのドキュメンタリーに取り上げられ、その感想「自問自答の大切さ」を中心に述べたあとに)ともすれば、私たちの学校現場は今息苦しさを感ずることがあるわけで、自問自答もままならない場合も多いのですが、今日の協議会が明日からの教室に、少しでも新しい空気を送り込めればいいなあと思います。

2009年
 自分の好きなこと、得意なことをどんどん出してやったらいいと考えているわけです。それがなんといっても楽しむための大きな力になると思うのです。そんなふうに互いに交流して、楽しみ方のアイデアを増やしたり、広げたりすることは大事でしょう。
 ただ私たちは、なんといっても公的な仕事についているわけですから、その楽しみ方が、妥当なものなのか、何か逸脱していないかと時々互いに見あったり、気づけあったりすることは欠かせないはずです。こうした研究会も見方を少し変えれば、楽しみ方の交流とチェックといってもいいでしょう。

2011年
 (指導案の教材名にあった「読む」に関連づけて)類語大辞典によると、「読む」はどういう動詞の区分に入るか、ということです。四つの区分のところに「読む」が位置づけられていました。
 一つは文字通り「読む」。次にやはり「数える」という大区分に入っていました。そして「推す」。「推し量る」という場合の「推す」ということですね。最後に「見通す」という区分の中にもありました。
 今回の題名の読むに近いのは、「推す」と「見通す」でしょうか。
 そのことと今日の子どもたちの様子を照らし合わせると、発言の中に推し量っている部分や、見通している部分があったなあと振り返ることができそうです。さて、今日の授業を構築するポイントは何だったか、どうやってこの六年生の力をつけてきたのか…

2013年
 教科研の授業研究会は、その教科に集う会員が「授業」ということをミクロの視点まで掘り下げられるいい場ですし、マクロ的な情報と照らし合わせながら、いい話し合いができればと思います。
 実は、前回、十数年前もこの場で責任者として挨拶していたのですが、その時に「参加者それぞれが、白銀を持ち帰ることができるように」といったような言葉を言ったことがあります。それは歴史ある院内銀山の地、つまり当時久保田(今の秋田市)を凌ぐほどのにぎやかさを見せた、この地に明治7年にできた白銀小学校にひっかけたものでした。
 金も銀も、最初からそこにあるものでなく、自分で堀り進まなければなりません。ぜひ積極的に話し合いながら、自ら白銀を掘り当てる時間にしていただければと思います。


 そして、今年2015年
 訳あって(笑)結局言えずじまいだったが、こんなことを喋る予定だった。

 さて、隔年の開催となっている教科ごとの授業研究会は、他の公開研究会とは、また違う位置づけがあるかと思います。それは、教科指導研究、私たちの場合は国語科指導研究を視点に、つまり国語科の特性や指導の歴史といったものを生かして、参観、協議できるといったことでしょう。
 今、私たちの県で進めていることは、全国的には評価が高いわけですけれども、反面、どの教科指導も似通ってきている、もしかしたら画一化という方向に進んでいるのでは…といった危惧が、ふっと浮かんだりします。かつて国語科指導においては、様々な団体が、様々な手法を主張し、色とりどりの実践が生まれていたように思います。他教科にもそれはあるわけですが、国語科は一層華やかでした。
 もちろん、私たちの職務の核となる、学力向上に照らし合わせて、そうした先行実践の取捨選択がなされてきたのですが、世界が多様化しているのに、さらに教育界が個性化を叫んできたのに、どうも実際の教育は、授業は、逆方向に向いているのではないか…そんな気がしてなりません。