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葛飾むかし話,当地を訪ねる、 第2話

2016年08月04日 | 文学  民話&伝説&昔ばなし

小松菜のおはなし
    
お鷹狩りとお昼に出された”おひたし”

 

  前回に、お花ちゃん(お花茶屋)のお話をいたしました。今回も徳川の将軍家がお鷹狩りがに来られた時にまつわるお話です。JR総武線新小岩近くに訪れた。

 

   小松菜のおはなし=物語

 徳川八代将軍吉宗が、今の新小岩方面にお鷹狩りに来られた時のことでした。当時この辺りは家もまばらで、野原でありました。

お鷹狩りで、お疲れになった吉宗公は、お休みになろうとあたりを見回しますと、小さな松があるのに気付きました。そこで吉宗公は、お百姓さんに、

「これこれ、あれは何という松じゃ?」
と、尋ねられました。

お百姓さんは
「ハイハイ。まだあの松には名前がついておりません。」

と、答えましたところ、吉宗公は
「あの松は小さくて形がよいから、小松菜と言う名前にしたらどうじゃ。」

と言われたことから、コマツと言う地名ができたと、伝えられている。

また吉宗公は、狩りがお好きであったことから、たびたび新小岩方面へお出かけになられたようです。

いつものように、お鷹狩りを成されて、お昼近くになり、お休み所として農家に立ち寄られた時のことです。たまたまそこに出された”おひたし”が、大変おいしくお喜びになり、

たくさん召し上がった。
       

「この名は、小松で取れたので
小松菜にしたらどうじゃ。」
と、言われたことから「小松菜」になったと、伝えられています。

 

  *松は原因不明の火事にあい、枯れてしまい今は残っていません。
  *小松菜と名前が付くまでは、新小岩方面では、冬菜なと呼ばれていました。

                    葛飾区児童部児童課発行「葛飾むかし話」から

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

  現 地 調 査
 
  そこで、現場に赴き探してみました。
ありました、神社入り口に大きな看板で「小松菜発祥の地」と、境内に入ると記念碑もありました。また、神社裏手に回ると、宮司の家があり玄関入り口に「小松菜屋敷」の看板が掲げられていた。


江戸川区新小岩香取神社、小松菜産土神社の看板です。

   
             小松菜の碑

 


                 新小岩香取神社本殿

 

         香取神社宮司亀井家の玄関口

 

    

香取神社の隣にあります。八代目将川吉宗が鷹狩りに訪れた際、小松菜の入りの澄まし汁を出した香取神社の神主・亀井和泉守の屋敷跡です。現在は子孫である地域歴史研究家の亀井千歩子氏の住居で、日よっては見学が可能です。
先を急いだの外からの見学にしました。(2016,8,5)

                   小松菜まんじゅう

 

 

 

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葛飾むかし話の当地を訪ねる  第1話

2016年08月04日 | 文学  民話&伝説&昔ばなし

     はじめに
  
  葛飾区には、この地に伝わる民話や伝説を、古老や文化人から収集した「葛飾むかし話」があります。葛飾区児童部児童課でまとめたものです。
その民話や伝説の地を訪ね、むかし話と今の面影・物語にまつわることなどを探し求め訪ねて、物語をアタックしました。

    

   お花と将軍様=むかし話 

  ≪あらすじ≫ お花茶屋発、将軍鷹狩りお成り。徳川吉宗が腹痛を起こした。その時、名前がお花という娘の看病により、快気したとの言い伝えがある。  

      
                      

 

 

 

 

 

          お花茶屋駅

 
                                 お花茶屋駅前商店街

  江戸時代、今のお花茶屋から亀有方面にかけては、沼や池が多く、徳川将軍家の猟場として毎年、秋から翌春にかけて、お鷹狩りが行われていました

ある秋の暖かい日のことです。八代将軍吉宗公は、大勢の家来を連れて鷹狩りをしていました。

 
                     曳舟川親水公園の鷹狩り場面モニメント

 と、急に、
「く、く、苦しい。」

と、将軍様は、お腹を抱えて苦しみだしました。
家来たちは驚いて

「上様うえさま)
「上様

と、ただ立ち騒ぐだけで、どうしたらよいやらわかりません。

まもなく、家来の一人が、近くに茶店があることを見つけました。

茶店とは、お団子やお茶を出して、旅人を休ませるところです。
と、家来たちは、将軍様をいたわりながら、その茶店に急ぎました。

  その当時、このあたりに近い四ツ木街道には、茶店が3軒ありましたが、将軍の行き着いたところは、そのうちの一軒で、新左エ門と言う茶店でした。

  主人の新左エ門は、早速先祖から伝わる宝物の一つである銀の茶釜で沸かし、お花という美しい一人娘に薬を煎じさせました。お花の懸命な看病もあって、将軍様の病気はだんだん良くなり元気を取り戻しました。                                                                                                                

              

そして「お花!お花はどこにいる!」
と、大きな声を出せるようになり、将軍様はもとより、家来たちも喜びました。

将軍様は、「お礼に心ばかりだが、店の名前を付けてやろう。新左エ門でなく、お花がいつも居る茶屋、”お花茶屋”とするがよい」と言い、帰っていきました。

  吉宗公は、それからもお鷹狩りに来ると、必ずこの茶屋に立ち寄り、お花の入れてくれるお茶を楽しみました。

それからはお花の名前が日ごとに広まり、近くは隣村から、広くは江戸じゅうに広まりました。

  今でもこの辺りは『お花茶屋』とよんでいます。(完)

                    葛飾区児童部児童課発行「葛飾むかし話」から出典                 

           葛飾今昔まちあるき その3ーC 

 

 

 

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