山頭火と弘法大師
コード番号21・22番の所在する妙厳寺
(奥戸3-28-10)は、とても立派な寺と見受けた。
山門、入ると右手に立派な鐘楼、そして正面に本堂。
裏手の墓地をぐるりと回ると、
掃き清められて、管理の行き届いて居るには感心させられた。
山門と山頭火の碑
山へ空へ
魔訶波羅蜜多心経
山頭火
昭和七年七月三十一日、山頭火は旅の空にある。
『歩くはうれしい、水はうまい、強烈な日光、濃緑の山々、人さまざまなのすがた。』
日記からは山頭火の快活な姿を容易に想像でき、コチラも何とはなしにうれしくなってくるのだ。
山頭火に続き心経を読誦、摩訶般若波羅蜜多心経。
ひと時、心が清浄になれた気になるだけお経はありがたい、南無観世音菩薩。
弘法大師像
弘法大師・空海は、774年(宝亀5年)6月15日讃岐国(さぬきノくに、香川県)多度郡(たどノごおり)屏風浦(びょうぶがうら)の「善通寺(ぜんつうじ)」で生まれ、父は郡司で、佐伯直田公(さえきノあたえたきみ)、善通(よしみち)、母は阿刀(あと)氏の出で、阿古屋(あこや)、玉依御前(たまよりごぜん)、兄二人は幼少に他界し、三男空海は幼少の頃から佐伯家(先祖は大伴氏の分家)の跡取として育てられ、幼名を真魚(まお)と云い、貴物(とうともの)と呼ばれました。
(奈良観光パンフより抜粋)