ふるさと、秩父&金子兜太、自然と自由
金子兜太年譜
■1919 大正8年
9月23日(秋彼岸)、埼玉県小川町の母の実家で生まれる。育ったのは同県秩父盆地
皆野町の父の家。父元春(俳号・伊昔紅)、父は東亜同文書院校医として上海に在住。
霧の村石を投らば父母散らん 金子兜太
■1926 大正15年 7歳
父、上海より帰り、郷里秩父の国神村で医院を開業。隣り町の皆野小学校に入学。
■ 1932 昭和7年 12歳
埼玉県立熊谷中学校(現、熊谷高校)に入学。
■1936 昭和11年 17歳
二・二六事件を雪中に知る。『夏目漱石全集』を耽読。秩父事件についての古老からの聞き書きを校友会雑誌に出す。
■ 1940 昭和15年 21歳
嶋田青峰主宰「土上」投句。
娘嫁がせ秋刀魚焼く煙にむせてゐる
曇日の街柩車のほこりにしばし塗れ
中村草田男・「万緑」 投句
万緑の中や吾子の歯生えそむる>
勇気こそ地の塩なれや梅真白
・・・・・・・・・・・以下略・・・・・・・・・・
【NHK深夜便アーカイブス】
明日への言葉・2月27日(火)再放送
舌の記憶~あの時あの味
聴き逃し (金子兜太少年時代)
俳人 金子兜太(H28/12/23 OA)
≪俳人≫
故金子兜太は、秩父の故郷を色を濃く出し歌い上げ、
自然と対峙し「造型俳句」を掲げて自由俳人でした。
・ 夏の山国母いて我を与太という (兜太)
・ 秩父人の 魂叫びつづけて 兜太逝く 比企の村びと
・ 兜太逝くアユのはらわた汁の味 (縄)
合 掌
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