和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

整理哲学?

2009-12-07 | 短文紹介
今日12月7日の産経新聞コラム「正論」は、新保祐司氏。
題「日本人の精神再建する歴史哲学」。
何でも、12月8日は真珠湾攻撃の日だったのでした。
そこで、新保氏は加藤陽子著「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」を取り上げております。ちなみに、私は加藤氏のこの本読んでません。
そこに、「しかし、私が最も知りたかったのは、『勝ち目のない戦争』と分かっていたのに、『それでも』、なぜ、日本人は戦争を選んだのかについての精神史的理由であったが、その点はあまり伝わってこなかた。」と新保氏。
その点について、加藤陽子氏の文意を取り上げております。
「日本が短期決戦の方針で開戦に踏みきったことについて、著者は『そのあたりを考えていくと、哲学的問題にまでなります』と書いている。歴史学は、『哲学的問題』の手前の実証でとどまるべきかもしれないが、日本人の精神の再建に必要なのは、歴史哲学ではあるまいか。」
どうやら、新保氏は、歴史哲学を語りたいらしい。
コラムは最後の方、こうなっておりました。
「昭和16年12月8日に、『勝ち目のない戦争』であることは十分、分かっていた『にもかかわらず』日本は、開戦したのである。戦わなければ、戦わずして敗戦後の日本と同じ状態にさせられていた。その方が、戦禍がなかっただけ良かったと思う人間も今日、多いかもしれない。・・・・70年ほど前、日本の国民は戦って見事に敗れたが、今日の日本列島の住民は、戦わずしてただだらだらと敗れていっているのではないか。」

う~ん。「戦わずしてただだらだらと敗れていっているのではないか」という問題提起。

そういえば、哲学といえば、加藤秀俊著「整理学」に
「西洋の場合も東洋の場合も、じっさい、知識の分類というのは、むかしからの大問題であった。多少乱暴ないいかたかもしれないが、西洋の哲学史というのは、ある意味で、知識の分類史、あるいは『知識についての知識』の歴史であったようにもみえる。ベイコン、ロック、コント、スペンサー、ヴント、ピアスンなど、中世から現代までの哲学者たちの少なからぬ部分は、知識の分類学にその多大のエネルギーを注ぎこんできている。」(p64)


ここで、日本中世史を整理した加藤秀俊著「メディアの発生」とつなげたいのですが、それはそれとして、今思い浮かぶのは、300回で終了したコラム「巻末御免」の、谷沢永一氏の最後のコラムが気になっております。

「・・自覚しないうちに蓄積された無意識または印象を、自ら掘り起こし、見つめ直し、検討する努力が求められる場合もある。伊藤整が戦後まもなく刊行した『小説の方法』はこの自己発掘の熱意が頂点に達していたと推察される時期の労作である。・・・これは自己を省察し、自分の姿勢を改め、居住まいを正す努力が要求された場合に相当する。理路整然とした論理構成が文章の極意であるとは限らない。表現とは結局、自己を鍛え直す作業である。自己発掘の努力がうむ熱意、これが一つの脈動となって読者の真情に訴えかける。・・・評論とは自己を評価し直すことである。それを縮約する不断の営みが、読者の胸を打つのではないか。」

ここにある数々の言葉の断片は、こりゃ整理学のための鍛錬じゃないか。
というのが、私が思い浮かぶことでした。
たとえば、「自覚しないうちに蓄積され無意識または印象を、自ら掘り起こし、見つめ直し、検討する努力」というのは、身辺整理ということとダブってくるような気がしてきました。「自己発掘の熱意・努力」「自己を評価し直すこと」「縮約する不断の営み」というのは、まさに整理の学なんじゃないかと、私は思うわけです。

ということは、「ただだらだらと」した自己を鍛え直す作業というのは、整理学の主要なテーマじゃなかったのか。といまさらながら、思うのでした。
コメント
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