和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

猫と寅彦。

2009-12-12 | 短文紹介
古本の森田草平著「夏目漱石」を読むともなく開いてみたら、寺田寅彦の箇所があります。「漱石と寺田博士」。そこで、はじめて寺田寅彦を意識した場面が回想されておりました。

「私はその年の七月大学を出たばかりのほやほやの文学士である。勿論就職もしていないし、又そんな望みも薄かった。しかし漱石先生の宅を訪問したのは就職の依頼ではない、ただ無駄話に出掛けたのである。その時先着の客に寺田さんがあった。私は先生と寺田さんの話を傍聴しながら、ただまじまじと二人の容子を眺めていたらしい。その時どんな話が出たかは一つも覚えていないから、先ず聴いていたよりは、見ていた方が主であったと思われる。これは先輩、長者の席に後輩もしくは田舎漢が列なった場合にあり勝ちのことだから、なにも私一人に限ったことではない。何でも寺田さんはその時例によって白いリンネルの、それも幾度か水をくぐったらしい皺苦茶の洋服を着ていられたように思うが、その後も終始そういう服を着ていられたから、これは後からくっつけた連想かも知れない。・・・・
『吾輩は猫である』の第一冊が出た頃で、玉擦りの寒月は寺田さんだという評判が立っていた。・・・」


この箇所を眺めていたら、そうだ、『吾輩は猫である』というのは、寺田寅彦を中心にして読まれるべき物語じゃないのか?と思ったのでした。もうどなたかの、それに関する本があるかもしれない。そういうのがあれば読んでみたいし。なければ、それを頭において読み直してみたい。それほどに、この物語は、読後に寒月さんだけが印象として残る。漱石は寅彦へむけて、この本を書いていたのじゃないかと思わせる。あるいは無意識に寅彦が漱石の頭を占領していたのじゃないか。と思ってみるのでした。またそういう観点から注意して読み直してみたい。と思うだけのこの頃でした。
コメント
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