今年はおくればせながら、外山滋比古著「思考の整理学」を読んで、外山氏の著作を読もうと思いたちました。というわけで、何冊か読み始めたのですが(笑)。遅々としてすすまないなあ。けれども、手ごたえは十分。その守備範囲は、私が漠然と思うその前を進んでおられるという、そういう意味での安心感があって、ゆっくりと読みすすめられます。もっとも私はエッセイを読むのがおもなのですけれど。
さて、昨日読んだのは「ユーモアのレッスン」(中公新書)。
ユーモアの守備範囲をどこいらまで置くかによって、その本の包容力が伝わるものです。
最初に気になった引用箇所はこれでした。
「新しいアイディアをつかんだ人は、だれでも変人になる。その考えが成功するまでは。」(p53)
う~ん。変人の間は、対人関係はギクシャクするものです。自分から巧まずしてユーモアを醸し出すようでなければ、変人もキツイだろうなあ。と思ったりするわけです。
音訳ということも取り上げております。
「音訳の傑作のひとつに簿記がある。
英語ではブックキーピング(bookkeeping)。
これを早口でなんども言っていると、ボキになるといういわけで、しかも、帳簿をつける(記)という文字をのせたところが心にくい。この訳語をつくった人はさぞ得意だっただろうが、いまではそういう苦心の作であることも忘れられてしまっている。それくらい名作である。」(p88~89)
ここで、ちょっとあとがきから
「ユーモアの正体をとらえるのは、すこし調べてみると、古来、難事となっていることがわかった。・・・ふつうにはユーモアの扱いをされてこなかった日本の俳諧、川柳、ことわざにも、ユーモアの心が流れていると考えて、いくつかとりあげた。これも新しい試みであるかもしれない。」(p227)
ということで、パーキンソンの法則から、夏目漱石・モンテーニュ・阿房列車・佐々木邦・徒然草・大岡政談・火焔太鼓・山吹・連句から座談会・スピーチと随筆の特性をいかして、アチラと思えば、すぐコチラと取り上げながら、昔からの枠にとらわれない笑いをさぐっており、私にはたいへん参考になりました。
う~ん。ここでは、とりあえず。パーキンソンの法則から、
有閑の老婦人のことを引用しておりました。
「このひとは、ボグナー・レージス(避寒地)にいる姪あてにはがき一本書くのに、まる一日を費やしてしまう。はがきはどこだったかとさがすのに一時間、メガネを見つけるのにもう一時間。アドレスさがして三十分。文面を書いて一時間と十五分。近くのポストへ投函しにいくのに傘をもっていこうか、どうしようかと迷って二十分かかる。忙しい人だったら、ひっくるめて、ものの三分とはかかるまいと思われることが、ひまな人には、こうして、迷い、心配し、あたふたして一日仕事になってしまうのである」
こうして引用したあとに、外山氏は「老婦人を思いうかべて、口もとがほころぶような文章である」(p173)としております。
そういえば、外山滋比古著「ことばの教養」(中公文庫)の最後の文は、「あとでなく、いま書く」という題でした。その文のおわりをつい引用したくなりました。
「こまめに手紙を書くには、手もとに七つ道具がそろっていることが案外、いちばん、大切なように思われる。便箋に封筒、切手、はがき、郵便番号帳、住所録など。手紙を書こうと思ったが、便箋が切れている。はがきを出そうと思うがはがきがない。あすにしようと思うと、もうだめである。きょう書くのをあすにのばすな。それが手紙を書くこつだ。郵便が来たときの何とも言えない気持をほかの人に贈るのだと考えて手紙を書くくせをつける。」
え~と。とりあえず昨日までで何枚でもないのですが、年賀はがきを出しました。
さて、昨日読んだのは「ユーモアのレッスン」(中公新書)。
ユーモアの守備範囲をどこいらまで置くかによって、その本の包容力が伝わるものです。
最初に気になった引用箇所はこれでした。
「新しいアイディアをつかんだ人は、だれでも変人になる。その考えが成功するまでは。」(p53)
う~ん。変人の間は、対人関係はギクシャクするものです。自分から巧まずしてユーモアを醸し出すようでなければ、変人もキツイだろうなあ。と思ったりするわけです。
音訳ということも取り上げております。
「音訳の傑作のひとつに簿記がある。
英語ではブックキーピング(bookkeeping)。
これを早口でなんども言っていると、ボキになるといういわけで、しかも、帳簿をつける(記)という文字をのせたところが心にくい。この訳語をつくった人はさぞ得意だっただろうが、いまではそういう苦心の作であることも忘れられてしまっている。それくらい名作である。」(p88~89)
ここで、ちょっとあとがきから
「ユーモアの正体をとらえるのは、すこし調べてみると、古来、難事となっていることがわかった。・・・ふつうにはユーモアの扱いをされてこなかった日本の俳諧、川柳、ことわざにも、ユーモアの心が流れていると考えて、いくつかとりあげた。これも新しい試みであるかもしれない。」(p227)
ということで、パーキンソンの法則から、夏目漱石・モンテーニュ・阿房列車・佐々木邦・徒然草・大岡政談・火焔太鼓・山吹・連句から座談会・スピーチと随筆の特性をいかして、アチラと思えば、すぐコチラと取り上げながら、昔からの枠にとらわれない笑いをさぐっており、私にはたいへん参考になりました。
う~ん。ここでは、とりあえず。パーキンソンの法則から、
有閑の老婦人のことを引用しておりました。
「このひとは、ボグナー・レージス(避寒地)にいる姪あてにはがき一本書くのに、まる一日を費やしてしまう。はがきはどこだったかとさがすのに一時間、メガネを見つけるのにもう一時間。アドレスさがして三十分。文面を書いて一時間と十五分。近くのポストへ投函しにいくのに傘をもっていこうか、どうしようかと迷って二十分かかる。忙しい人だったら、ひっくるめて、ものの三分とはかかるまいと思われることが、ひまな人には、こうして、迷い、心配し、あたふたして一日仕事になってしまうのである」
こうして引用したあとに、外山氏は「老婦人を思いうかべて、口もとがほころぶような文章である」(p173)としております。
そういえば、外山滋比古著「ことばの教養」(中公文庫)の最後の文は、「あとでなく、いま書く」という題でした。その文のおわりをつい引用したくなりました。
「こまめに手紙を書くには、手もとに七つ道具がそろっていることが案外、いちばん、大切なように思われる。便箋に封筒、切手、はがき、郵便番号帳、住所録など。手紙を書こうと思ったが、便箋が切れている。はがきを出そうと思うがはがきがない。あすにしようと思うと、もうだめである。きょう書くのをあすにのばすな。それが手紙を書くこつだ。郵便が来たときの何とも言えない気持をほかの人に贈るのだと考えて手紙を書くくせをつける。」
え~と。とりあえず昨日までで何枚でもないのですが、年賀はがきを出しました。